政治に興味を持ち始めたころ。兄から数多あるYouTubeのチャンネルから『KAZUYA Channel』を紹介されました。何年か後には、百田尚樹さんが著した『カエルの楽園』という本をすすめられました。
『カエルの楽園』を読んでからは、とくに視界が開けて「いかに周りが政治に興味が無いのか」を実感し、そこから百田さんの著作物を読みあさるようになってきました。とは言っても小説は読まずに、『今こそ、韓国に謝ろう』や『日本国紀』などといったものです。
YouTubeのチャンネルも、KAZUYAさんの動画に似たようなものを見るようになっていきます。はじめは新鮮でした。本を読んだり動画を見るたびに、かつて学校で授業を受けていたときに感じていた霧が晴れていく感覚がしておりました。
しかし、あるときから再び心に黒い霧がかかっていきます。視野がまたしても、狭くなっていっている感覚に襲われたのです。霧の正体がつかめず、ひもねす考える日々を過ごしていました。そんなある日、いきなり天啓のように心に疑問が降りてきます。
「誰のための国家なのか?」と。
答えは出ません。当たり前です。考えるための材料など、持ち合わせていないのですから。自分なりに答えを出したくて、自作小説『マリアの騎士シリーズ』は執筆していたかもしれません。そうは申しても、もともと恋愛主体のプロットに途中から継ぎ足す形でしたので最後は主人公二人が結ばれて終わりましたが。
けっきょく、その手の本も読まなくなり、動画も見なくなっていきました。それから疑問は心の倉庫に押し込んでおいて、ひとまず心健やかに日常を過ごすようになっていきました。その中で唐突に、本当に唐突に、『銀河英雄伝説』のアニメが無性に見たくなります。
もともと昔から、タイトルだけ知っていた作品ではありました。ですが「重そう」「暗そう」と内容も知らずに、長年、避けてきたのです。しかしテレビアニメ版『アルスラーン戦記』に、ハマったのをきっかけに"こちら"のタイトルにも興味を持つようになっていきます。作者が同じであるし、評価が高いので。
少しネットで調べてみて「前の自分であれば好きにならなかったかもしれないけれども、今の自分であればハマってしまうだろうな」と、容易に想像できました。それでも作品に触れようとしませんでした。今度は逆に、ハマってしまうだろうから避けてしまったんです。
それが去年の終わり頃に、とうとう原作小説の再アニメ化である通称『ノイエ銀英伝』を無性に見たくなって見てしまいました。あれよあれよとのめり込み、原作小説全15巻BOXセットを購入して完読いたしました。
読み終わって一番に感じたのは、「なぜもっと早く読まなかったんだろう。でも、今だからこそ作品の良さにも気づけたんだろうな」でした。そして自分が感じていた疑問に、答えのようなものを自由惑星同盟側の主人公であるヤン提督が与えてくれました。
「国家なんてものはたんなる道具にすぎないんだ」(『策謀編』P.174)
「国家というサングラスをかけて事象をながめると、視野がせまくなるし遠くも見えなくなる」(『風雲編』P.178)
「国家が細胞分裂して個人になるのではなく、主体的な意志を持った個人が集まって国家を構成するものである以上、どちらが主でどちらが従であるか、民主社会にとっては自明の理でしょう」(『雌伏編』P.176)
[いずれも創元SF文庫版]
……なるほど、「百田さんの本等で得ていたものは、"国家"という視点だったんだな」と、目から鱗が落ちました。視野がせまくなっていたのも、事実なのでしょう。
むろん動画配信者のすべての動画を見ているわけでもございませんし、百田さんの本をすべて読んでいるわけでもないので、特定の方をおとしめようという意図はまったくございません。そもそも新しい視点をくださった点に置いて、感謝すらしております。
個人的に"この段階を踏む"プロセスもふくめて、良かったと思っております。