それは、あまりに普通の日だった。
だって、その日はいつもどおり幼なじみの隼人を起こしに行って、一緒に朝登校して、一緒にお弁当を食べた。ただ、その日は隼人が用事があって一緒に帰れなくて。だから、私は一人で帰ってた。その後ろから突然声をかけられたんだ。
「あの……淡雪、千夏さんだよね…?」
「うぇ!?」
そんな変な声を上げて私は、振り返る。すると、そこには同じ中学だった男の子がいた。名前は確か、立花祐介。ごくごく普通の男子高校生で同じクラスだったが、話したことも一度や二度くらいしか無く、一人でいることの多い、男の子だ。
「立花君…?」
私がそう首を傾げながら問うと男の子は、パアッと花が咲き誇るように微笑んだ。そして、にっこりと微笑む。
「覚えていてくれたんだね」
「うん! やっぱり、立花君なんだね」
そう私が満面の笑みで言うと立花君は、笑みを浮かべる。そして、私の手を取ったと思ったらぎゅうと握りしめてきた。
「あの、立花君……?」
「淡雪さん…僕と付き合ってくれませんか?」
あまりに突然の告白に私は、思わず目を見開く。そして、目を泳がせた。
別に今、好きな人がいる訳じゃない。隼人だって、ただの幼なじみだし、隼人も私をそう言う目で見てないことは、分かっていた。だから、お互い好きだから一緒にいるわけではない。ただ、昔から仲のいい友達だ。きっと、私がこの告白を受けたと聞いても「ふうん」で終わることだろう。だけど、それ以前の問題がある。
「あ、あのね立花君。私、立花君のことをよく知らないって言うかその…立花君も私のこと、そんなに知らないよね…?」
「知ってるよ。僕は、とてもよく君を知っている。…だって、僕はずっと君だけを見てきたんだ。高校は離れてしまったけれど、君を見かけたら、ついつい目で追ってしまうんだ。君は、知らないかもしれないけど、僕はずっと君だけを見てきたんだよ」
そう言われ言葉につまってしまう。
「で、でも…」
私が言いよどむと立花君は、手を離した。
「じゃあ、少しの間だけでいい。僕と付き合って。それで君が決めればいい。いつでも、君は僕をふっていいよ。」
私は思わず立花君を見上げる。すると、立花君は恐ろしいくらい優しい笑みで微笑んでいた。背中がぞっと寒気が走るくらい。
「それでいいよね? 淡雪さん…いや、千夏ちゃん」
「え……うん。わかった」
有無を言わせない立花君の気迫に私は、思わずそう答える。
「じゃあ、僕のことも『祐介』って下の名前で呼んで」
「え…『祐介君』じゃだめ?」
私がそう訴えると立花君は、「わかった。今は、それでいいよ」と言ってくれた。その言葉に少しばかり安堵の息が漏れる。
「じゃあ、明日の朝、家まで迎えに行くからね」
そういうと立花君は、足早に去って行ってしまった。
「え……」
夕闇の中、立ちつくす私は呆然と心の中で呟く。
(私の家、何で知ってるの……?)
その疑問を打ち払って私は、家に戻る。そして、自分の部屋のベッドの上に寝ころんだ。すると、隣の家の窓から隼人が顔をのぞかせた。
「なんか、あったのか?」
実をいうと私の家と隼人の家は、お隣だったりする。それで、すぐ隣だから窓を開ければこうして話も出来るのだ。
「あのね、立花君っていってわかる?」
「ああ…中学の時の」
「そう、その立花君に告白されたの。それでね、私が『立花君のこと、よく知らない』って言ったら『少しの間、付き合ってみてそれから決めて』って言われたの。だから、付き合うことになっちゃった」
私がそう言うと隼人は、動揺することも慌てることもなく小さく息を吐き出した。
「ふうん…お前は、それでいいんだろ。なら、別にいいじゃねえか」
「うん。そうなんだけどね…なんか変な感じがするの」
「変? 何が」
「わかんないけど、変な感じ」
私がそう言うと隼人は、少し考えた後に「男として意識し始めたってだけじゃないのか」と言った。その言葉に私は、「なるほど」と頷く。
「すっきりした!! ありがとう、隼人」
「いや、別に…じゃあな、気をつけろよ」
そういうと隼人は、窓を閉めてカーテンを閉める。
私はというと首を傾げる。
気をつけろ……?
どう言う意味だろうか。考えても答えなんて出るわけがない。
私は、心の中で疑問を抱いたまま布団の中に潜った。そのまま、夢の世界へ誘われていった。
翌日。
私は、昨日の疑問などきれいさっぱりと忘れて目を覚ました。そして、制服に着替えていつものように父親からの遺伝である茶髪の髪をきれいにツインテールにまとめる。その後、一階へと下りた。すると、そこには立花君が家族と並んで食卓の椅子に座っていた。
「え!? 立花君!!」
立花君は、私の方を見る。
「祐介君でしょ、千夏ちゃん」
そう念を押すように立花君は、言った。その言葉に私は、寒気を覚える。それが何故なのかは、わからない。ただ、昨日の隼人の言葉を思い出していた。
『気をつけろよ』
立花君に何かあるのだろうかと私は、立花君の方を見る。けれど、私の母と談笑をしている。とても、悪い人とも思えない。なら、何が私をここまで追い詰めているのだろうか。何かが私に迫っていることだけは、私は理解していた。
朝食を食べた後、立花君と一緒に外へ出た。すると、隼人が珍しく外で待っていた。
「隼人、今日は早いね」
私が何気なくそう言うと隼人は、「ああ」と短く答える。そして、立花君の方を一瞥する。
「行くぞ」
短く隼人は、言った。そして、歩き出す。私は、慌ててその後を追った。
だから…立花君が隼人を恨めしげに見ていたなんて知らなかった。
立花君とは学校が違うから、途中で離れることになる。だから、学校の人たちには私に彼氏がいることを知っている人はいなかった。それは、ある意味良かった。なぜなら、これからずっと付き合うかどうか私には、分からないのだ。
その日の帰り、隼人はまた用事があって一緒に帰れなかった。けれど、立花君と途中であった。そして、一緒に帰ることとなった。
「ねえ、千夏ちゃん」
「ん? なあに?」
「あの男って、千夏ちゃんの何なの?」
一瞬、考えたものの私はすぐに隼人だと気づいた。
「あー、隼人はね。小さい頃から一緒の幼なじみなの。でも、ただの幼なじみだよ。こっちもその気は無いし、むこうもその気はないんだよ。」
そうにっこりと微笑んで私は、そう言った。すると、立花君は急に私の手を掴んだ。
「たち……祐介君……?」
「千夏ちゃんは、男ってものを分かってないなあ。男は、いつだって下心を持っているんだ。あの男だって君にいつ欲情するかわからない」
「な、なに言ってるの……?」
声が、自然と震える。それと同時に私の中で危険信号が鳴り響いている。
逃げなきゃ、にげなきゃ…恐い!
「ゆ、祐介君…だ、大丈夫だよ…隼人は、私に変なことしないよ…」
「ねえ、千夏ちゃん…君は、今は僕の物だよね?」
足ががくがくと震える。喉も既に渇ききっていた。
恐い、逃げたい……たすけて……!
「ゆうすけくん……」
自然と声が震える。少し、かすれる。
「今すぐ、君に僕の印を付けたいよ……君が僕の物だって印」
(に、逃げなくちゃ!!)
そう思った刹那に私は、立花君の手を振り払う。そして、背を向けて駆けだした。
「そう…それが、君の答えなんだね」
という立花君の声を背で聞きながら。
どれほど走っただろうか。分からないけれど、息が切れるほどには走った。
「…はあ……はあ……ここまで来れば…」
そう私が呟いた刹那。私の頬に冷たいカッターの刃が、押しつけられた。驚いて私は、体が硬直する。
「え…?」
「見つけたよ、千夏ちゃん」
ゾクリ、と背筋が凍る。その後、カッターを振り払って飛び退いた。そして、相手を見る。すると案の定、そこには立花君がいた。
「ゆ、祐介君…こ、こんなこと止めて…」
「なんで…僕は、こんなにも君のことを思っているんだよ…? なのに、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで、なんでええ…………!!」
立花君は、そう叫ぶ。
(恐い…けど、立花君…………………なら、私は………)
私は、崩れ落ちた立花君にそっと近寄る。そして、きゅと優しく抱きしめた。
「立花君の気持ち、私すごく嬉しいよ。でもね、きっと立花君は、本当の私を知らない。私も立花君のこと、知らない。だけどね、これから知っていきたいんだ。立花君のこと…立花君も私の本当の姿を見て」
そう私は、笑いかけた。すると、立花君は驚いたように目を見開く。その後、恥ずかしそうに微笑んだ。
「うん…そうかも、しれないね」
そういうと立花君は、ハンカチを取り出す。その後、私の鼻と口に押し当てる。
(な、なにこれ……)
その一秒後、私の意識は闇へと放り込まれた。
『たちばなゆうすけ…あいつ、好きな女がいたらしいけど、こっぴどくふられたらしい。その後、その女に手紙を送ったり、ストーカー行為を繰り返していたらしい』
この声、中学の時の隼人の声だ。
そうだ、立花君は恋が叶わなくて歪んで……
はっと私は、暗い部屋で目を覚ます。動こうと体を動かせばちゃらちゃらと鎖の音がする。どうやら、手と足を鎖でつながれているらしかった。しゃべろうとしてもくぐもった声しか出ない。口も布か何かでふさがれている。
「本当の君を知るには、ずっと一緒にいた方がいいよね……ずっと、ずーとここで…二人だけの世界でいようよ。千夏ちゃん…ね」
闇の中で立花君の声だけが聞こえる。
「ここなら、君は僕だけのことを考えてくれる。ここなら、ずっと……ね」
光さえも見えない闇の中。
私は、絶望に押しつぶされそうになった。
***
千夏ちゃんを監禁して1年が経った。
千夏ちゃんの行方を捜している親が時々、僕のところに話しかけに来てくれたりする。僕が監禁しているとも知らないで…。
「千夏ちゃん、君はずっとここにいようね。ずっと、ずーっと…僕だけの物になってね」
千夏ちゃんの目は、うつろで僕などまるで写していない。それどころか、生きているのか怪しいくらいぼんやりとしている。
「ねえ、千夏ちゃん…今日はね……」
最初は抵抗していた千夏ちゃんだったが、今は屍のようにぼーっとしている。それどころか、僕に何も反応を示さなくなっていた。
「ねえ、千夏ちゃん。笑って…ねえ、笑ってよ…ねえってば!!」
千夏ちゃんは、人形のように鎖につながったまま何も言わないし、何も表情を示さない。
「こんなの、千夏ちゃんじゃない…ただの、人形だ…」
そう僕は呟くと鎖を外した。
了(「小説家になろう」2014年 08月25日 21時16分 掲載)