鋭く突き刺すような冬の冷たさが、俺の心ごと凍てつかせてしまいそうだ。それほどまでも寒い夜。俺は、寝付けずに何度も寝返りを打つ。とうとう眠れないとさとり、布団を出た。すると、どこからか笑い声が聞こえてきた。そのことに肌寒さを覚え、上着を羽織る。
(こわい)
こういう夜は、決まって寝付けない。
俺の住んでいる、この家は代々から続く古い家。築100年は少なくともたっている。そんな家。ただ、それだけであれば、何も恐れることはない。ただ時折、笑い声さえ聞こえなければ。
『クスクス……クスクス………』
ほくそ笑むような不気味な笑い声。その声は、俺にしか聞こえない。この家には、俺の他に父や母、じいちゃんやばあちゃんも住んではいるけれど、誰もその声は、聞こえないのだ。…否、じいちゃんは聞こえるって言ってた。ただ慣れてしまって何とも思わないと。俺は、まだこの世に産まれて10年しかたっていないから、慣れてない。そのうち、慣れるだろうかと思いながら過ごしてる。それでも、やはり恐いと思ってしまうのだ。常に見られているかのような視線。鋭く突き刺さるように俺を見ている。思わずそれを意識して、体がぶるりと震える。すると、また笑った。
『アハハ…』
聞こえないふりして外へ出た。そこで夜空を見上げると、厚い雲があった。その中心には、金色の月。まるで、雲は月を避けるように月の周りにあり、月を隠してはいなかった。なんとも、きれいな月である。しかし、その月の光を何かが遮った。そのことに驚いて俺は、目を見開く。そこには、大きな体の男がいた。その男は、奇怪なことに頭に角が生えている。髪は、赤毛で目は、月と同じ色。その目に俺は目を奪われた。それほどまでも、美しかった、身にまとった服がヒラヒラと夜風に舞う。まるで、蝶のようだと俺は思った。
「きれい…」
俺がそういうと男は、いぶかしげに俺を見る。その目は、やはりきれいなものであった。
「お前、俺が見えるのか?」
男の問いかけに俺は、素直に「うん」と答える。すると、男は俺の頬に触れてきた。それは、とてもしなやかで美しい動きだった。そんな動きに俺は、抗うこともしない。
「お前は……」
男は、そういうと黙り込む。そして、その後ハッとした表情になって後ろを振り返る。そこには、何かがうごめいていた。その方向に俺が目を向けると男は、俺をかばうように前に出る。
『ココニイタノカ…酒呑童子』
俺は、その名を聞いて心臓が出るかと思った。酒呑童子は、鬼。絶世の美男子で多くの女性に言い寄られたが、それらを全てことわった。そして、彼に言い寄った女性は、みんな恋煩いで死んでしまった。そして、彼女らの恨みによって彼は鬼になってしまったのだという。いつだったか、じいちゃんが言っていた。
「お兄さんは、鬼なの?」
俺がそう問うと男は、俺の方を見る。そして、ばつが悪そうに顔を背けた。すると、うごめいていた何かが俺の方を見る。その目が妖しく光った気がした。
『オオ…ナントイウコトダ! コンナトコロニチカラヲモッタ人間ガイヨウトハ…クワセロ…クワセロオ……!』
うごめいている何かは、だらしなくよだれを垂らして俺に迫ってきた。俺は、あわてて身を翻して逃げようとする。しかし、うごめく何かは俺の体に何か糸のような物をくくりつけた。
「う、わあ!」
俺は、息すらも段々と出来なくなってくる。すると、低い声が耳に届いた。それは、胸の奥に響いてくる。
「生きたいか、人間…」
「う…」
目に涙が滲んでくる。その涙を拭う余裕すら、俺には無い。
「生きた、い……生きたい!」
そう俺が叫んだ刹那。うごめく何かは、消え去りそこには、静寂だけが残された。呆然とする俺に男は、そっと跪いて俺の涙を拭う。
「少年、生きたいのなら俺と契約を」
「え?」
「俺と契約を交わせ、さもなくばまたあやかし達がお前を狙ってやってくる。生きたいのだろう? ならば、俺と契約を交わすのだ。さすれば、お前はあやかしどもに狙われにくくなる」
なぜ、この人はそんなに悲しげな顔をするのだろう。男の言っていることの半分は、聞いてはおらずそんなことを思っていた。
「守ってくれるの? 俺を?」
「ああ、守ってやる。どんな外敵からもお前を守ると誓おう」
俺がそのとき、どんな顔をしていたかなんてわからない。ただ、男は俺の顔を見て驚いていた。それだけが、心に残っていて。
「じゃあ、守って。俺をどんやつからも守って見せてよ」
*
そんな契約を交わして10年後。
カタカタと俺は、ただパソコンに向かってキーボードを打っている。すると、男こと酒呑童子は俺に近寄ってきて。
「おまえなあ…また、カップ麺とか体に悪いもんばっか喰って」
酒呑童子の言葉に俺は、口を尖らせる。
「だって、好きなんだもん」
「ガキか、お前は!」
「なにおう!!」
そんなふうに俺が叫ぶと酒呑童子は、俺をグイッと力尽くで引っ張って椅子から立たせる。すると、ガタガタと窓枠が震えた。
「…え?」
俺は思わず、そう声を漏らす。すると、次の瞬間には窓ガラスが盛大な音を立てて割れてしまった。酒呑童子は、俺を後ろにかばうと窓を割った張本人である妖怪は、不気味な笑みを携えている。
「お前…かまいたちだな」
(かまいたちって、風の妖怪)
昔、じいちゃんから聞いた話を今でも俺は、はっきりと思い出せる。そのことに俺自身が驚いてしまう。すると、かまいたちは俺に向かって鋭い風を放った。俺はぎゅっと思わず目をつぶる。すると、すかさず酒呑童子が俺の体を抱えてその攻撃から守ってくれた。しかし、家の壁が思いっきり破壊されてしまう。
「ああー! い、家がああ」
思わず俺がそういうと酒呑童子は、呆れた半分で「それくらいで」と呟く。俺は、そのことに反論しようとするけれど、言葉を発する前にかまいたちは俺に攻撃を開始していて酒呑童子もそれを俺を抱えた状態でよけているのが、現状だ。
酒呑童子は、小さく舌打ちすると割れた窓から家の外へ出る。そして、そのまま空中を跳んで人気の少ない場所へ来た。
「…はあ、なんだって俺は妖怪につけ狙われなくちゃいけないんだ」
「仕方がないだろ、お前には力がある。その力を狙って妖怪どもが…」
「だー! わかってるって!! だからって、何でこんな真っ昼間から狙われなくちゃならないんだよ!」
そう俺が言ったときだった。にゅ、と黒い影が差した。そのことにゾッとして上を見上げる。そこには、美しい女性がいた。しかし、俺には分かってしまう。この女が猫叉であることが。
「あ…どうも…」
俺がそういって軽く頭を下げると女性は、優雅に「ふふ」と笑う。
「こんなところにいたのね、坊や」
「ね、猫叉のお姉さん……どうかしたんですか」
実を言うと俺とこの猫叉は、ちょっとした知り合いだったりする。
「やだあ~、猫叉なんて呼ばないでにゃーちゃんってよ・ん・で」
「う…それは」
俺が戸惑っていると酒呑童子が、そっと俺を引き寄せる。
「じゃまするな、見つかったら面倒だろ」
「あ~、やっぱり逃げてきたんだ。毎日、大変ねえ優希くんは」
優希というのは、俺の名前である。
「そう思うんなら、助けてくださいよ」
「あら、やーよ。それに酒呑がいるじゃない」
そういうと猫叉は、さっさと去っていった。その背中を眺めつつ俺は、疲れたように言葉をこぼす。
「なんで、現れたんだ? あいつ」
「さあな、俺の知ったこっちゃねーけど」
酒呑童子は俺の呟きにそう答えた。たしかに、そうではあるが。そう思った、その時。またしても、強い風が吹いた。すかさず、酒呑童子は俺をかばう。
(かまいたちが、俺たちを追ってきたのか)
刹那に女の子の声が聞こえてきた。
「おやめなさい!」
その声の方を向くとそこには、女の子が立っていた。年は高校生ぐらいで背丈は、普通の高校生よりは低めの身長。長い茶髪の髪は、かまいたちの風に揺られてなびいている。そんな少女は強く足を踏ん張ってお札を取り出す。そして、何やら唱えた。すると、かまいたちの風がたちまち消えてしまう。かまいたちの姿すら、消えてしまった。
「……!」
呆然と固まる俺に女の子は、駆け寄ってくる。そして、心配そうに俺の顔をのぞき込んだ。
「大丈夫ですか?」
「え、はい…」
「そうですか、良かった。では、私はこれで」
そういって去ろうとする彼女の腕を俺は、掴んだ。すると、女の子は大げさなくらい髪を振り乱して俺の方を振り返る。
「ねえ、君。何やったの?」
俺がそう問うと女の子は、一瞬ポカンとしたもののすぐに理解したようで「ああ」と口の中だけで呟いた。
「九字を切ったんです。私、家が代々、陰陽師なので」
「君は、陰陽師の術とか使えるの?」
「はい! といっても、少しですけど」
そういって女の子は、てへと頭をかく。すると、いままで何もリアクションを示さなかった酒呑童子が俺の手を取る。
「行くぞ、もうここには長居は無用だ」
「ああ、うん。…じゃあね」
俺は、女の子にそう告げると酒呑童子に連れられて家に戻った。すると、やはりと言うべきか、家の中はめちゃくちゃだった。
「これ、修理代いくらかかるんだよ」
俺が呟くと酒呑童子は、うまくもないへたくそな口笛を吹いた。
「はあー…」
俺はひとつ、大きなため息を吐き出すとパソコンに近寄る。すると、パソコンは無惨なほどにバラバラになっていた。
「わああ! なんだよ、これー」
「修理に出すしかないな」
「修理にすら出せないよ! こんなに粉々じゃあ…ああ、また買い換えなくちゃ」
俺が頭を抱えてそう呟くと酒呑童子は、ふと真剣な表情になる。そして、そっと俺の体を引き寄せる。その後、耳元で囁いた。
「まだ何かいる」
短く酒呑童子が言うと俺の体は、無意識に強ばってしまう。すると、酒呑童子の中の悪戯心をくすぐったのか、奴は俺の耳に息を吹きかけた。
「ふぎゃあああああああっ!!」
俺は思わずそう叫んで床に倒れ込む。その後、酒呑童子の方を涙目でにらみ付けた。すると、酒呑童子はまだ悪戯したいのかニッと口角を上げる。けれど、それも一瞬のこと。すぐに俺を抱き上げると真剣なまなざしでこういった。
「そろそろ、引っ越しした方がよさそうだな」
「またかよ。もう俺、金ねえよ」
そう俺が返すと酒呑童子は、眉根を寄せる。
「そんなわけなだろう? 何のために俺が人間のふりしてまでバイトしてると思ってるんだ」
酒呑童子の言葉に俺は、何も言えなくなってしまう。
「…俺の、ため?」
「何で疑問系なんだよ。そうだろう、お前のためだろ」
俺の答えにちょっぴり不満を抱いたのか、酒呑童子はふんと鼻を鳴らす。そして、俺を抱えると窓から外へ出て行った。その後、人気の少ない場所で俺を降ろすと街に入る。
「引っ越すなら、パソコンも新調しないとな。あとは…」
俺と酒呑童子は、入り用になる物を見ていた。しかし、酒呑童子は何やら周りを警戒している。
「どうかしたのか?」
「いや、何か嫌な気配がしてな」
「嫌な気配?」
「ああ、なんつうか普通の妖怪とは少し違うような」
首を傾げる俺に酒呑童子は、「気にするな」といって、やはり周りを警戒する。俺は、それを極力気にしないようにしつつ入り用の物を買いそろえてゆく。すると、ずいぶんと後方から何やら男のわめき声が聞こえてくる。ハッとして、気づいた時は遅かった。俺は、易々と男につかまりナイフを突きつけられた。いわば、人質状態。
(まじかー…)
俺があまりに落ち着いているためか、男はさらにわめき散らす。
「おおおおおおい! い、一歩でも近づけばこここここいつの命はないぞ!!」
(おいおい、声ふるえてるじゃねえか。そんなんで、ナイフを持つなんて…)
「なあ、おっさん」
俺が男にそう声をかけた。すると、男は汚いつばを飛ばしながら俺に震える声で、やはりこういう。
「ななななななんだよ!! だいたい、お前今、どういう状況かわかって……」
「俺を離さないと、危ないよ?」
俺が、そういった刹那。男は後方に吹き飛ばされた。すると、今更かけつけたらしい警察官が男を押さえていた。
「大丈夫か」
酒呑童子は、そういって俺に問いかける。
「大丈夫なわけあるかよ。顔にあいつの唾がついちまったじゃねーか」
なんて俺がいうと酒呑童子は、呆れたように「顔を洗え」といって新品のタオルを俺に渡す。俺は、ため息を吐き出すとトイレへ入った。そして、顔をきれいに洗う。俺は鏡を見てふと思う。
(俺が本家を出て、あいつと一緒に暮らし始めた。それでも、あいつと一緒でも時折恐くなる。あの不気味な笑い声。いつまでたっても、記憶から消せはしない。それでも、俺は生きたいと願った。だから、俺は生きていてあいつが側にいる。あの夜の選択が正しいかどうかなんて俺には、分からないけれど。それでも、俺は生きるんだ。それが、たったひとつの真実…)
鏡の中の自分は、どこか寂しげでどこか強がってる。そんな自分を見つめて、そっと呟いた。
「これが、夢だなんて言わせない」
了(「小説家になろう」2015年 01月06日 15時31分 掲載)