魔風月下真説 真琴・鐘砥編

2020年12月29日火曜日

過去作 短編

t f B! P L

  草木がざわざわ騒いでいた。しかし、ふと時間が止まったように音はやんだ。その場を流れていた風がやんだからだった。それから、ためらうように月が雲から顔を出した。月の光が周りの雲に当たって、ぼんやりと雲の白さが際だつ。そんな雲の上に虹が架かっているような光が見えた。その光を垣間見て一人の少女は窓を閉めた。その少女は、ほぼ真っ暗な室内の中心まで楚々としたあしどりで歩いた。そして、長い髪を揺らして、きれいに足をたたんだ。すると、ふと人気の無かった部屋の隅に気配がたった。その気配に少女は驚くことは無かった。しかし、室内はどこか緊張した空気が漂っていた。そんな室内に凛とした少女の声が響いた。
「目覚めたのですね?」
 すると、今度は低い男の声が響く。気配の主の声だった。
「ああ、まずい事になるかもしれない。」
 その声には、どこか心配そうな声色が混じっている。その事に気づいたのか、少女は気遣うように「大丈夫です。安心してください。ただ、一刻も早く真琴を呼ばなければいけないだけです。」と言った。すると、気配の主は「ああ。その事だったら、既に話は通してある。安心しろ。明後日には来れるそうだから」と答えるように言った。それを聞いて小さく少女は笑みを浮かべた。
「相変わらず、行動が早いですね。」
「思い立ったら吉日ってな、昔から言うだろ」 二人は小さな談笑をする。しかし、重い沈黙が降りた。その沈黙を少女は破る。
「鐘砥さん。真琴を守ってあげてくださいね。力の持たない私は形だけの神子でしかありませんから。」
「琴音、お前も神子には違いないだろう。自分の力を信じてみたらどうなんだ。」と鐘砥と呼ばれた気配の主はぶっきらぼうに言う。すると琴音と呼ばれた少女は「鐘砥さん、ありがとうございます。ですが私はやはり飾り物でしかないのです。力の持たない神子は、使い物にならないでしょう?」と寂しそうに言った。すると鐘砥は「俺は、そんな風に思ったこと無いけどな」と言い残し、その場を去った。鐘砥の台詞に琴音は、わずかに息を飲んだ。
 一人残された琴音は「もう、勘違いしてしまうでは、ありませんか。」と呟いた。その声は暗い闇の中にとけ込まれた。
 ふと、琴音の耳に草木の揺れる音が届いた。「風も泣いているのでしょうか?」
 そう呟いた後、琴音は一筋の涙を零した。 
一方、鐘砥は縁側に座り十六夜(いざよひ)の月を見上げた。すると、その後ろから一人の幼い少女が声をかけた。
「十六夜(いざよひ)の月は、美しい。躊躇うように出てくることから『十六夜(いざよひ)』は『躊躇う』という意味もある。なあ、お主は何を躊躇っておるのだ?」
 幼い少女にしては酷くしわがれた声だった。その声に鐘砥は「いえ、何も。」と答えた。すると幼い少女は「そうか?ワシには、どうも躊躇っているように見えたがの。」と可笑しそうに言った。そして「もうじき、宵の長い祭りが始まる。気をつけるのじゃぞ。」と言って家の奥へ引っ込んだ。鐘砥はそれを確認して「躊躇いなんて、当たり前なことを」と呟くように言った。
 その言霊は何かを求めるように宙を彷徨い、空に消えていった。それはまるで、叶わぬ願い事のように。儚く散りゆく花と同化したように、散って消えたのだった。

温かい、昼下がり。
 太陽の光を真っ正面から受けて一人の少年は大きく伸びをした。
「ん~、久しぶり」
 光を受ける少年の髪は闇色であるが、つやつやと輝いている。掛けている黒縁眼鏡のレンズ越しに、きれいな瞳があった。その瞳も髪と同じ闇色であった。しかし、その瞳は聖夜をはめこんだかのように美しかった。年の頃は十五、六歳前後のようだった。そんな少年は重い荷物を「よっと」と持ち上げて古びたバス停を後にした。
 少年は、山の奥へ向かっていった。何分か九十九折りの山道を歩いていると、ふと少年は足を止めた。そして頭を押さえてうずくまった。
「うっ・・・・ぐ、は」
 すとん、と荷物が地面に落ちる。
「たす、けて・・・」
 少年の頭の中に一つの音が鳴り響く。耳から聞こえてくるものではない。頭の中から響くような、鈴の音。この音が何なのか少年は知っていた。
 不吉な、何かが起ころうとする音だった。
 しゃん、しゃん・・・・。
「おい、しっかりしろ」
 突然、そう声をかけられて少年は顔を上げる。そこには一人の男性がいた。その男性は、年の頃は十七、八歳前後。ずいぶんと整った顔立ちをしている男性だった。髪は赤みがかった茶髪。髪と同様の色を放つ瞳。その瞳は凛々しく、己の強さを感じさせた。その男性を少年は知っていた。
「かね・・・と」
 息切れ切れに少年は名を呼んだ。すると、鐘砥と呼ばれた男性は「いいからっっ。俺につかまれ」と叫ぶように言った。少年は震える手を差し出す。その手を鐘砥はしっかりと掴んだ。そして、力一杯ひきあげる。
「辛いときは辛いって言え、いいな」
 そう言って鐘砥は少年に肩を貸してやり、少年の荷物をひょいと持ち上げた。
「ありがとう。」と少年は振り絞って言った。すると、鐘砥は「礼は言わなくて良い。俺が好きでやってることだから」とぶっきらぼうに言った。その声に少年は「やっぱり鐘砥は鐘砥だ。変わってない」と安心したように言った。すると鐘砥は照れたように「はやく、行くぞ。琴音が待ってる。」と言って足を一歩ずつ前へ進めた。
 昼頃になって二人は目的の場所に着いた。その頃には少年の痛みも消えていた。
 目的の場所は、前にどっしりと構えた石で造られた門があった。その門を抜けるとあるのは古からある木造建築。神に願いを聞いてもらう建物。すなわち、神社である。その神社の門には「月面神社」と記されていた。その神社の境内を一人の少女は掃除をしていた。その少女は大和撫子を連想させるような風貌だった。するりと長い黒髪は曇りのないガラスように見える。そんな少女は二つの影に気づいた。そして少年に声をかけた。
「あら、随分と早いお着きですね。」
 その少女に視線を合わせて少年は「うん、バスが予定より早く着いたんだ。」と答えた。すると鐘砥は「まあ、お陰で俺が出向くのが遅れたわけだが」と少し怒り気味に言った。その声色に気づいて少年は「ご、ごめん。連絡入れれば良かったね。」と言った。すると鐘砥は「ああ、そうだな。次からは、そうしてくれ。でないと、さっきみたいな時にヤツにお前が殺されるかもしれないからな。俺はお前を死なせるわけには、いかない。」と言ってから「わかったな」と言った。少年は「ごめんなさい。」とだけ言った。その様を見ていた少女はどこか寂しそうに持っていた箒を握りしめた。そして、にっこりと笑みを作った。
「では、真琴さん。大事なお話がありますので、神棚の間に来るようにと、お婆さまが仰っておりました。」
 そう言って少女は掃除を再開させた。真琴と呼ばれた少年は「祈祷案内所」と書かれた建物の中へ入った。そして、奥へと進んでいく。そして、ある襖の前で足を止めた。
「月見里真琴、帰還しました。」
 そう、真琴は部屋の中へ声をかける。すると中から嗄れた声が聞こえてきた。
「入れ」
 その声に真琴はうっすらと汗を浮かべた。そして、襖をゆっくりと開ける。中には中央に九十九髪を結い上げた老婆がおり、その傍らに銀髪の幼い少女がいた。
 真琴は緊張した面持ちで部屋の中へ入った。すると幼い少女が口を開いた。
「久しぶりじゃな。真琴」
「はい、大変お久しゅうございます。大戸日別神(おおとひわけのかみ)様。お婆さまもお元気そうで」と真琴は言った。すると老婆が今度は口を開いた。
「早速ですが、本題に入ります。真琴に帰って来てもらったのは他でもありません。あなたに月面神社の神子としてワタクシのあとをついでもらいたいのです。」
「え?それは、琴音じゃないんですか?」と驚いたように真琴は言った。すると老婆は首をゆるゆると横に振る。
「ここ月面神社は先祖代々、妖狐を祀り、その力を封じてきた、ということをあなたは知っていますね。」
 真琴は首を縦に振る。それを確認して老婆は「それなら、わかるでしょう。彼女は、その器ではありません。第一、彼女には能力がない。それは、真琴もわかっているはずでしょう。」と告げるように言った。
「・・・・・っ。しかし、琴音は今までそれだけを教えられて育てられてきたのでは、ありませんか?」と真琴は少しばかり息を荒げて言う。老婆は首を縦には振らず「妖狐は、月面神社が祀りあげた神ですが、その力は強大すぎて神子に封印されました。そのため、妖狐は神として敬うと同時に恐れられている存在です。しかし、その封印が何者かによって解かれました。もはや、時間が無いのです。能力のある人間は、現在あなたと鐘砥しかおりません。ワタクシは昔ほど、能力はない。」と言った。そして「鐘砥と協力し、解けてしまった妖狐の封印をもう一度、施すのです。」と告げた。
 真琴は青ざめながら「あの、僕には能力なんて、無いです。」と呟くように言った。老婆は「嘘は、いけません。今までいくつもの怪事件を解決したのは、あなたでしょう。」とキッパリといった。真琴は顔をうつむかせた。
「僕は陰陽師の呪術は父から学びました。しかし、神子としての呪術は全く持ってわかりません。」
「それでよいのです。     もう、よろしい。下がりなさい。」と冷たい口調で老婆は言った。真琴は不快に思いながら襖を開けて廊下へ出た。すると廊下に鐘砥がいた。真琴は思わず鐘砥にすがりついた。
「どうしろって言うんだよ。琴音は神子として生きることだけ教えられてきたって言うのに。急に僕に『神子になれ』なんて」
「相当、急いでるみたいなんだ。今だけで良いから、力を貸してくれ。すまない。本当は巻き込みたくなかった。」と鐘砥は優しく真琴を抱き留めた。真琴は頬をほんのりと染めた。そして「ごめん、鐘砥だって辛いのに」と呟くように言った。それを聞いて鐘砥は「いや。いいんだ。真琴に頼りにされるだけで嬉しいから。」と答えるように言った。真琴は優しく鐘砥を突いて、体を離した。
「ありがとう、少し気が楽になった。」と真琴は笑みを浮かべる。その表情を見て鐘砥は頬を緩ませる。そして「そっか」とだけ呟いた。
 その様子を見ていた琴音は、ぎゅと手を握りしめた。そして、自らの瞳をうっすらと濡らした。
「じゃあね、鐘砥。僕は部屋に行くから。荷物、運んでくれて、ありがとう」
 真琴は、そう言ってその場を離れた。すると、鐘砥は物陰に隠れている琴音に視線を送った。
「いるんだろ、出てこい」
 そう言われて琴音は、遠慮がちに物陰から姿を現した。そして「ごめんなさい。立ち聞きするつもりは、無かったのですが」と言った。鐘砥は「別に、立ち聞きしたからと言って俺は咎めたりしない。」と言った。それから、琴音の方向に歩をゆっくりと進んだ。そして、すれ違いざまにこう言った。
「すまない。」
 琴音は雫を散らして鐘砥の背中にしがみついた。
「どうして、謝るのですか。私は、わかっておりました。最初から、わかっておりました。あなたが、私に情を持っていないことなど、知って・・・・」
 ガクッと琴音は両膝を着いた。鐘砥は琴音に背を向けた状態で「許してくれ、俺には好いている奴がいる。」と言って歩き出す。その背中に琴音は「・・・・・佐久夜ですか」と問いかけた。鐘砥は答えない。しかし、琴音はそれが無言の肯定であることを、感じた。
「ひっく。うぐっ・・・ぐず」
 鐘砥は初めて聞く琴音の泣いている音に少なからず驚いた。しかし、声をかけることは無かった。
(わるい、琴音)
 そう心の中で謝って鐘砥は、自分の部屋へ戻った。

 自分の部屋にいた真琴は荷物の中を出し始めた。そして、少しずつ荷物の中を空に近づけていった。
 何分か経って荷物の中は空になった。その事を確認すると真琴は携帯電話をポケットから取り出した。携帯のディスプレイの左端には「圏外」と表示されている。
(さすが。ここは超田舎だから、電波届きにくいもんな。否、通らないか。)
 使い物にならない携帯電話の電源を切り、懐にしまった。そして、肩にぶら下げていたカバンの奥に手を突っ込んだ。目的のものを探り当てると光の下へさらけ出した。ソレをパッと広げる。淡い青色の扇状のソレは光を帯びて光る。
「どうか、世界に希望をもたらしたまえ。急急如律令。」
 そっと真琴は呟いた。扇状のものは、自ら光を放つように輝く。
「よかった」
 真琴は自分に言い聞かせるように呟く。その時、真琴の頭を静電気のようなものが走った。思わず、真琴の体は畳へと崩れる。
「イタっ」
 しゃぁぁぁぁぁん。
「う・・・・・ぐっはっ」
 音は次第に大きくなり、一つの音声へと変わった。
《たすけて》
(だれ?僕を呼ぶのはだれ?)
 頭痛と吐き気が真琴をおそう。しかし、真琴は懸命に声の主に呼びかける。
(あなたは、だれ?)
《ワタシは》
 声の主が答えようとした時だった。真琴の意識はプツッと切れた。
 とさっ・・・・。
 真琴の体は全て、畳へと委ねられた。すると真琴の部屋の襖がすうと開いた。開けた主は鐘砥だった。鐘砥はあわてて真琴に駆け寄り上半身を抱き上げた。
(なっ。どうして、真琴が苦しんでいることに気づかなかったんだ。俺は)
「おいっ真琴、しっかりしろ」
 鐘砥は必死に呼びかける。しかし、応答はない。
「くそっ!」
 そう毒づいて鐘砥は真琴を抱き上げて、部屋にあったベットに寝かせた。
(お願い!神様、これ以上コイツを苦しめないでくれ!)
 その願いも虚しく真琴の体は徐々に汗ばんでいく。
「うっ・・・く」
 真琴はうめき声を上げた。
「真琴!おい真琴、しっかりしろっ。」
 鐘砥は必死に呼びかける。しかし、真琴の口から漏れるのは応答ではなく、苦痛の響きだけだった。
「う・・・ぐっ。」
 苦痛の響きと共に真琴は「たす、けて」と漏らした。鐘砥はそれを聞いて、真琴の手をきゅと握りしめる。そして「俺がお前を守ってやるから。安心しろ。」と言った。すると、真琴の悲愴に歪んだ顔がすうと引いた。
(そうだ。神に頼るなんて、情けねえ。守ってやる。俺が、この手で守り抜いてやる!)
 鐘砥は心の中で誓いを立てた。

 冷たい刃を突き立てられたような夢を、真琴は見ていた。
 あまりに酷すぎる事実を告げられたような。しかし、それを告げた相手の顔も何を言われたのかも、霧がかかったように、理解することは出来なかった。ただ、理解しがたいことを告げられた、と言うことしか理解できなかった。
 その夢は、どこか現実味を帯びていて真琴は、この夢を見る度に思う。この夢は、予知夢なのだろう、と。しかし、やはり夢は夢でしかなく、目を開けると今ある自分の置かれている状況に戻される。それでも、やはりただの夢と片付けることは出来なかった。
 夢には一人の少女が出てくる。その少女の髪は長ければきれいと思うが、残念なことに肩までで切りそろえられている。そして、身長は百五十センチぐらいと真琴や琴音と同じくらいの背丈だった。
 そんな少女は悲痛に満ちた表情でただただ泣き叫んでいる。その目の前には、機械的に事実を告げるような口調で話す老婆がいる。しかし、老婆が話す内容がわからない。そして、少女が泣いている理由さえも。
 真琴は聞こうとするが、聞き取ることは叶わない。ただ解るのは、自分が愕然としていることだった。
 この夢を真琴は、ここに来る一ヶ月ほど前からずっと見ている。
 理由も解らず真琴はただ、その景色を眺めた。そして、汗をぐっしょりかいて目を覚ますのが日常になっていた。しかし、今日は違った。汗をぐっしょりとかいたのは、かいたが、その夢に優しい光が差し込んだのだった。その光の正体が誰かの温かい声と温もりであることに真琴は気づいた。
『俺がお前を守ってやるから。安心しろ。』
その声を聞いた瞬間、真琴は心の底から安心した。それと同時に、ある一人の男の顔が浮かんだ。
 髪の色は赤にがかった茶髪。それと同色の瞳。あまりにも整っている顔立ち。
(ああ)と真琴は心の中で短い感嘆の声色を浮かべた。そして(こんな時、いつでも来てくれるのは貴方だけか)と思った。その瞬間、真琴は優しい眠りの中へ落ちていった。

「・・・・・・ん」
 真琴が目を覚ましたとき、周りは夕闇に包まれていた。
 真琴はあわてて上半身を起こし部屋にある時計に目をやった。すると、五時であることを告げていた。
「あっ!しまった!」
 真琴はベットから降りようとした。しかし隣で寝ている人物がいることに気づいた。その人物は、真琴のよく知っている人物。 
 鐘砥だった。
 真琴は驚いて目を見開いた。しかし、少したって鐘砥が自分をベットに運んでくれたことに気がついた。
「ありがとう」と呟いて真琴はベットからそっと降りた。そして、部屋を出た。すると、そこには琴音がいた。
「夕飯の支度が出来ました。」
「ありがとう。あ、鐘砥は疲れてるみたいだから、そっとしといてあげて」と真琴は言って、食卓へと向かった。
 琴音は不思議に思い、真琴の部屋の襖をすっと開けた。そして、目を大きく見開いた。それから、寂しそうに目を伏せた。
「鐘砥さん、夕飯の支度、できましたから」
 ぼそりとそう言って、襖を閉めた。すると、鐘砥はまぶたをゆっくりと開いた。
(いつまで、こんなこと続くんだ?)
 そう心の中で呟いて、鐘砥は腰を上げた。

 翌日。
 真琴は昨日、声が聞こえた方に赴いていた。本当は一人で赴くつもりだったが、鐘砥が一人にはさせられないと、着いてきたのだった。一度は断ったものの鐘砥に押されて結局、一緒に来ることとなった。
 声が聞こえてきたのは、この地の小さな祠のある山の奥だった。その場所に着くと真琴は「どこにいるの?」と問いかけた。すると、木の陰から小さな少女が姿を現した。
 身長は百二十も満たない、体つきも幼い少女を連想させた。しかし、彼女の纏う雰囲気は年老いた老婆を連想させた。
「市寸島比売命(いちきしまひめ)さまっ!どうなさったのですか?」と真琴は少女を見て声を荒げる。すると、鐘砥は「市寸島比売命(いちきしまひめ)というと、水の神か。どうして、こんなに小さく」と呟くように言った。すると市寸島比売命(いちきしまひめ)は「うむ、実はな昨日から水の《気》の流れが少なくなってしまったんじゃ。理由はおそらく、妖狐だとは思うが。実際のところ、わからんのじゃ」と答えた。それを聞いて真琴は「《気》は力の源みたいなものですからね。それが減っては、大変です。特にこの地の水は、他の地よりも、《気》がある。それなのに。」と言った。鐘砥は「しかし、妖狐だけの力とは思えないな。何か違う力が絡んでいるような。」と呟いた。それを聞いて市寸島比売命(いちきしまひめ)は「妾も、そう思う。何じゃか、《金気》と《水気》が働いているような気がするのじゃ。《水気》に関しては極、微弱であるが」と頷きながら言った。
 その刹那。
「うっ・・・・・イタ」
 真琴は激しい痛みに、おそわれた。鐘砥はあわてて真琴を庇うように真琴の前に立ち、小さな棒を取り出す。その棒は、大きな穴と小さな穴がいくつか、開いていた。笛のようだった。しかし、その笛は瞬く間に鈍い光を放つ、刀へと変貌した。
「天羽々斬!」
 そう鐘砥が叫ぶと刀がまばゆく輝いた。それと同時に、何かが鐘砥を真っ直ぐ見据えた。そして、その何かは目映く輝く刀めがけて突進した。
「此奴っっ!《金気》の物の怪か」
 何かは刀に真っ二つに切られる。何かは最初から何もなかったように消失した。
「うむ。こやつは、妖狐の妙な術じゃな」と暢気に市寸島比売命(いちきしまひめ)は言った。
「う・・・ぐっ。かね、と。何か、おかしい。あの妖狐がこの程度の業しか仕掛けてこないなんて。」と頭を抱えながら真琴は言った。すると、鐘砥は「確かにな。だが、今の段階では何とも言えない。」と答えた。
「うん・・・かねと、調べてみる価値は有りそうだね。」
 そういって真琴は地面に両膝をついた。
「真琴!大丈夫か」
 鐘砥は刀を地面に置いて真琴に駆け寄った。
「うん、大丈夫。それより刀を、放置しちゃダメだよ。鐘砥」
「確かに、それも一理あるがの。真琴よ」
 そういって市寸島比売命(いちきしまひめ)は刀を拾い、刀を笛に戻す。
「今は自分の体を、案じたらどうじゃ」
 その笛を鐘砥へ投げた。鐘砥はそれを落とさずにつかみ取る。
「天羽々斬、神剣じゃな。《三貴神》の一柱の素戔男尊が八岐大蛇を退治するときに使った刀じゃな。じゃが結局、刀は刀でしかない。道具は仮がきいても人間は、そうはいかん。仮など、一つとして無い。」
「そうだぞ、真琴。お前は、一人しかいない。もっと、自分を大切にしてくれ。頼むから」
 鐘砥は懇願するように言った。真琴はそれに押されて「わかった」と呟いた。すると、市寸島比売命(いちきしまひめ)は「神子の体は、辛かろうぞ。神なるものの力に過敏に反応する。妖ならなおさらじゃ。のう、真琴や」と言って一拍あけてから「もうじき、声の上げられなくなるほどの妖気が、この地に満ちる。覚悟、しておれ」と忠告した。真琴は汗を浮かべつつ小さく「はい」と答えた。それを聞いて市寸島比売命(いちきしまひめ)は黒の髪を翻し、川の方へ歩いていった。すると真琴は「ふう」と息を吐き「やはり、妖狐だけでは無かったか。」と言った。鐘砥は「ああ、明日にでも俺は山の神に話をしに行ってくる。」と答えるように言った。真琴は「じゃあ、僕も」と言ったが鐘砥は「バカか、お前は。そんな体で、外に行かせれるわけ無いだろ。」と言った。それを聞いて真琴は悔しそうに下唇を噛んだ。そして、しかたなく頷いた。
「真琴、お願いだから。今はおとなしくしてくれ。今は、力を温存しておくべきなんだ。」
 鐘砥は、少し辛そうに言った。その声色に真琴は気づいて「わかってるよ。」と答えた。そして、苦汁を飲んだような笑みを浮かべた。 鐘砥は何も言わず、ただ真琴の体を支えて月面神社の方角へ赴いた。

 月面神社の境内。
 奥ゆかしい竹箒を手に琴音は、掃き掃除を行っていた。すると、真琴に手を貸している、鐘砥を琴音はとらえた。そして、その横顔がもの悲しげである事も 。
「すまない。琴音、水を操る妖を知らないか。俺は神の知識はあっても妖の知識は、とんとないからな。」
「水、ですか?でしたら、有名なのでは河童がいますけど。」と鐘砥の問いに琴音は答えた。「河童か。真琴、どう思う?」
 鐘砥の問いに真琴は「今の段階では、何とも。ただ、相手は妖狐と《水気》の妖。妖狐つまり、《金気》を剋すのは《木気》、《水気》を剋すのは《土気》。」と言った。
「五行説、だな。」
 真琴は頷いて「陰陽道の基礎みたいなもんだ。 《木気》を操る者と《土気》を操る者を探すしかないのか。」とぼやくように言った。
「真琴、お前の術でどうにか出来ないのか?」「出来なくもないけど、厳しいかな。僕は、《水気》の《陰》の力を持っているから。やっぱり、その力は少なからず出ちゃうから。」と真琴は答えた。
「そうか。」と鐘砥が呟く。すると、今まで黙っていた琴音が「早く中に入りませんか?」と言った。その言葉に二人は賛同し、「祈祷案内所」の中へ入った。

 自分の部屋に着くと真琴は、ベットの上に横になった。
「・・・・・っ」
 真琴のきれいな闇色の瞳から雫が零れる。
(なんで、僕は《水気》の力を持つんだ?もし、《木気》や《土気》であるならば力になれるのに)
 元気な太陽の光が真琴の体を染め上げる。その光は一日のうちで一番強い光であるので、真琴の心も温かく染め上げる。
(ああ。天照皇大神(あまてらすおおみかみ)様の光はお優しい。)
『もっと、自分を大切にしてくれ。頼むから』 鐘砥の言葉が、ふと真琴の脳裏をよぎる。「・・・・・っばか」
 誰にともなく、そう呟いた。その時、ふと誰かによって太陽の光が遮られた。
「真琴、大丈夫か?」
 その声は、ぶっきらぼうであるけれど、優しい声だった。その声の主を、真琴は知っている。
「鐘砥?大丈夫だよ。それより、どうかしたの?」
 その主に、問いをぶつける。
 半開きだった襖が大きく開かれる。
 太陽を背にした鐘砥の姿が、ぼんやりと浮かび上がる。
「いや、別になにも。ただ、純粋に体の方が気になって」
 優しい声色に、焦りが混じっていた。
(相変わらず、嘘が下手だな。)
「正直に答えてよ。どうしたの?」
 鐘砥の額に汗がうっすらと浮かぶ。そして、おもむろに。
「すきだ!大好きなんだ!嫁になってくれ!」
(・・・・・・・・・は?)
 真琴は立ち上がり鐘砥の額に手を当てた。「熱?それとも、どっか打った?」
 すると、鐘砥は困ったように「いや、俺は至って、普通だ。」と答えた。
「じゃあ、僕の幻聴か。」
「いや、お前の耳も正常だ。」と鐘砥は真琴の思考をバッサリと切り落とす。
「・・・・・鐘砥、いつから壊れたんだ?」「俺は、産まれてこのかた、壊れたことなど無い!本気なんだ。俺は、真琴が好きだ。」
 真琴の目が大きく見開く。
「えっと、この近くで病院は」
「真琴、真面目に聞いてくれ。俺は」
 しかし、鐘砥の言葉など頭に入っていないかのように真琴は「琴音!この近くで病院知ってる?」と大きな声で呼びかける。
「まこと!」
 びくっと真琴の体が震えた。そして、恐る恐る鐘砥の顔を見上げる。いたって真面目なその顔は、嘘をついているそれでは無かった。 赤みがかった茶色の瞳は、凛としていた。その眼光はたちまち吸い込まれてしまいそうである。
「かね、と?」
 弱々しい真琴の声は、虚しく空に消え入るかのように耳に残ることは無かった。
「好きなんだ。嘘なんかじゃない。」
(しってた。僕は、知っていた、その事を)「返事は、しなくてもいい。だから」
 真琴は、ぐっと拳を握りしめた。そして、おもむろに「ばか。ばか、ばか 。」と言って「大嫌い!」と叫んだ。その刹那、鐘砥は真琴の手を握りしめた。
「ごめん、やっぱり俺のこと嫌い?」
 真琴は悔しそうに下唇を噛んだ。山で見せた悔しさとは違う悔しさが真琴の中を渦巻いていた。
「・・・・・っ」
「ごめん。だけど、俺は本気だから。忘れないでいて」
 そう言って鐘砥は部屋を出た。
 一人残された真琴は、ストンと体から力が抜けたように尻を着いた。
「・・・・・っ。」
 真琴は、雫をポタポタと零した。
「うそつき、約束したじゃない。」
 
 それは、遠い日の記憶。
 あまりに暑かった日だった。
『いい?これは僕と鐘砥だけの秘密だよ。二度と口にしたらダメだからね。』
『うん、わかった。約束だね。』

 幼い日の泡沫の約束を真琴は、ぼんやりと思い出した。
(約束、忘れてるんだろうな)
 真琴は青い空を見上げる。そして、目を小さく細めた。
(こんなにも、晴れ渡っているのに僕の気分が晴れないのは、何故だろう。)
『好きなんだ。嘘なんかじゃない。』
 鐘砥の台詞が真琴の中でぐるぐる渦巻く。 幼い日の思い出が、真琴の心を焼け尽くすように爆ぜる。
「・・・・・っ」
 室内に声にならざる声が木霊した。

 いつの間にか、真琴は畳の上で寝てしまっていた。はっとして気づくと辺りは夕闇に包まれていた。
「しまった・・・・・。」
 ぼそりと真琴は呟いて、体を起こした。その刹那、真琴の中を何かが駆けめぐった。
「な・・・・・に?」
 静電気が走るかのような感覚。この感覚は真琴は初めてだった。
《ボクの声が聞こえますか?》
 きいぃぃぃぃぃぃん、と耳に響くような感覚と共に、そんな声が聞こえてきた。
「だれ?」
《先に聞かせて下さい。あなたの名前は何というのですか?》
「月見里、真琴」
《そうですか。会いに行きますから、待っていてください。》
 ぶつっ    と何かが途切れた。(さっきのは、おそらく妖。さっきの呪術は《真名》を握るための言霊。《真名》を握られるとその者は、そいつに《真名》を支配されることとなる。)
「はあ・・・・・。面倒なことに、ならなければいいけど。」
 誰にともなく、真琴は呟いた。すると、真琴の部屋に幼い少女こと大戸日別神(おおとひわけのかみ)が入ってきた。
「ん?なんじゃ?真琴、どうかしたのか?」「あ!大戸日別神(おおとひわけのかみ)さま。大戸日様こそ、どうかなされたのですか?」
「いや、妖の妙な気配を感じてな。気になった来てみたんじゃ。何か無かったかの?」
「《真名》を問われました。」と真琴はボソリと言った。
「うむ。で、答えたのか?」
「答えるはずが、ございません。」と言う真琴の答えを聞いて大戸日別神(おおとひわけのかみ)は緋色の扇をぱっと広げた。
「賢明じゃな。さすが、天照大神の血をひく者ぞ。じゃが、奴らは必ずこの屋敷に踏み込んでくる。そうなれば」
 大戸日別神(おおとひわけのかみ)は扇で口元を隠した。
「黎明のない、永い永い久遠の祭りが始まる。覚悟しておれ。」
(黎明 それは、夜明けを意味する。そして、久遠 永遠という意味だったはずだ。つまり『夜明けのない争い』か。)
「必ずや、黎明を取り戻して見せますとも。僕は、太陽の神の血をひいているのですから」 根拠など、何一つとして無かった。けれども、真琴はそう言った。すると、大戸日別神(おおとひわけのかみ)は可笑しそうに「そうか、そうか。これは、おもしろい宴が始まりそうじゃな。ああ、久遠の宴が待ち遠しい。」と言った。
 真琴はただ黙って大戸日別神(おおとひわけのかみ)の言葉に耳を傾けていた。すると、大戸日別神(おおとひわけのかみ)は真琴にそっと問いかけた。
「のう、真琴や。何故、人は祈るのだと思う。何故人々は神社へ行き、神に祈るのだと思う」 真琴は驚いたように目を見開いた。そして「昔、お婆さまから聞いたことがあります。人一人では力は弱いから、神様が一寸だけ背中を押してもらうのだと」と答えた。すると、大戸日別神(おおとひわけのかみ)は「ああ、確かにそれもある。だが、それだけではない。神に祈り、自らの決意を聞いてもらうために行くのだ。そうすれば、人は頭の中できちんとした決意を決められることが出来るからな。」と言って真琴にある袋を渡した。神社ではよく売られている品物。「お守り袋」である。その布製のお守り袋の中央には「守護」と縫われていた。
「『お守り』には、呪符が入っておる。だから、人々はこれを買い自分を守ってもらおうとする。本来の『お守り』には、神のご加護が入っており、一年持つ。だから、『お守り』の期限は一年なんじゃ。しかし、お主に渡した『お守り』は『鏡返し』の術がかかっておる。刹那単位で作ったからな。一回しか、効力はない。大事に持っておくのだぞ。」
「ありがとうございます。」
 真琴は頬を緩ませる。それを見て大戸日別神(おおとひわけのかみ)は「最初から、そう笑っておれ。福が逃げるぞよ。」と言って部屋を出て行った。
 真琴は、心が温かくなるのを感じた。
(ありがとう、ございます。神様)
 真琴は『お守り』を、きゅと抱いた。

 老婆のいる部屋に行った大戸日別神(おおとひわけのかみ)は、老婆に「真琴は何かを悩んでいるようじゃぞ」と言った。すると、老婆は「そうですか。」と呟いた。
「迷いがあるようでは、困りますね。戦いにも支障が出るやもしれません。」
「うむ。儂は大丈夫だと思うがの。」
「神様がそう仰るなら、大丈夫なんでしょうね。」
「そんなものは、わからん。神はただ、見守り人を導くだけじゃ」と言って大戸日別神(おおとひわけのかみ)は少し間を開けてから「お主も解って居るはずじゃぞ。石長比売(いわながひめ)」と言った。
「その名前は好みません。」と老婆は言った。その声はいつもの嗄れた声ではなく、若い声になっていた。
「ふん、自分の妹を呪い。人間の命を短命にしておきながら、逃げるなんて都合の良いことを考えるでないわ。同じ神でありながら、笑えてくる。」と大戸日別神(おおとひわけのかみ)は嘲笑うように言った。
「・・・・・・あなたに何が解るのですか」
 老婆がボソリと呟く。
 大戸日別神(おおとひわけのかみ)はすうと目を細める。
「お主は 」
 それ以降、会話は途切れた。

 夕飯を食べ終えて真琴は、庭へ出ていた。
「さすがに、寒いな。」
 誰にともなくそう言うと「ああ、今は冬だからな。」と思いもよらない返事が返ってきた。
 鐘砥だった。
「一人になるなよ。何が起こるかわからねえんだから。」
「ご、ごめん」
 真琴は鐘砥を見て言った。鐘砥は「まあ、ここは結界が張り巡らされているから大丈夫とは思うけど。」と独り言のように言った。
「・・・・・もうすぐ、何かが起こる。」
 呟くように真琴が言った。
「それは、妖狐のことか?」
 ゆるゆると真琴は首を横に振る。
「解らない。でも、何かが起こる。とても不吉な永久のような夜が来るような、そんな嫌な予感。」
「そんな夜、黎明に変えてやる。俺たちならできる。そうだろう?」
 鐘砥は真琴の頭に手を置いた。すると、真琴は嬉しそうに「うん」と答えた。
(ああ、やっぱり。あなたなら、そう答える)
真琴は小さく「ありがとう」と呟いた。その刹那、鐘砥は優しく微笑んだ。
「早く、中に入ろう。さすがに寒いだろ」
「うん、そうだね」
 月灯りに照らされた二つの影は、古き良き古の屋敷の中へ入った。

「真琴さん、鐘砥さん!外にでてらしたのですか?大変なんです!お婆さまの姿も大戸日別神(おおとひわけのかみ)様の姿も見えないのです。」
 中に入ったばかりの真琴と鐘砥に、慌てた口調で琴音が言った。
「え?」と驚きの声を上げ、真琴と鐘砥は顔を見合わせた。
「どういうこと・・・・・・?」
 真琴がボソリと呟くように言った。
「わかりません!お婆さまのお部屋に夕飯を届けに行ったら、誰もいなくて・・・・・。家中を探し回っても、誰もいなくて!」
 琴音は涙をぼろぼろ流しながら言った。
「何か、あったんじゃ・・・・・!」
 そう言って琴音は泣き崩れる。
 真琴と鐘砥は履いていた草履を脱ぎ捨てて琴音に駆け寄った。
「琴音!しっかりして!お婆さまなら、きっと大丈夫だから。」
根拠の無い慰めだと真琴は判っていながらも、そう琴音を諭した。すると、琴音はわんわん泣きながら何度も頷いた。
「何が、起こっているんだ?」
 鐘砥は呟く。その声に真琴は「さあ。だけど、良くないことであることは、確かだと思う。」と答えた。そして「山神様に話を伺いに行こう。」と言った。すると、鐘砥は「お前を連れて行けるわけ無いだろ!」と強い口調で言った。しかし、真琴は怯まず。
「大丈夫だよ!鐘砥は過保護過ぎるんだよ。僕は、大丈夫。僕は、神子なんだから」
 凛とした声で真琴が言い放つ。それを聞いて鐘砥は気圧されたように「しかたねえな。ついてくるのは、許す。だがな、絶対に俺の側から離れるな。」と言った。その答えを聞いて真琴は「うん。」と返事した。それから、真琴は「琴音、お留守番たのめる?」と優しく問うた。すると琴音は「はい」と弱々しく答えた。その返事を聞いて真琴と鐘砥は、運動靴を履いて家を飛び出した。

 何十分かかけて二人は山神様の祀られている祠に到着した。
「山神様!いらっしゃいますか?」
そう真琴が声を張り上げて、誰もいない闇の空間に問いかける。すると、闇の空間に気配がたった。それは、たちまち辺り一帯を包むほど大きくなっていった。
「神子か」
 ドスのきいた低い声が轟いた。その声は、真琴でも鐘砥でもなかった。気配の主の声だった。
「何用なのだ。神子」
「申し訳ございませんが、お婆さまと大戸日別神(おおとひわけのかみ)を見ておりませんか?」
 声の主に真琴は問う。すると声の主は「見ておると言えば、見ておる。見てないと言えば、見てはいない。」と答えた。鐘砥は眉をひそめて「結局、どっちなんだ?」と問うた。すると声の主は「む。」と言ってから「お主は、思兼神(おもいかね)の血をひく者か。知恵の神の血を引くのならば、少しは自分で考えてみることだ。」と言った。それを聞いて鐘砥は「俺は、考えるのが嫌いなんですよ。」と答えた。声の主は「ほう。それは、おもしろい。知恵の神の血を引きながら考えるのが嫌いとな。」と嘲笑うように言った。
「それは、どうもすいませんねえ」と鐘砥は怒ったように言った。
 真琴は内心冷や汗をかいた。そして、こほんと咳払いして「つまり、山神様は気配を感じたのですね。」と言った。すると、山神様は「おお、そうだ。さすがは神子様だ。」と言った。鐘砥はつまらなそうに空を見上げた。それに構わず真琴は質問を重ねる。
「あの、どちらに行かれたか、わかりませんか?」
「狐の祠へ行ったようだ。」
「では、最後に。妖狐は《水気》の妖と協力し合っているようなのですが、何か知りませんか?」
「・・・・・・知らなくても良いこともある」「え?山神様?どういう意味ですか?」
 しかし、問いの答えとなる答えは返ってこない。それどころか、辺り一帯を包んでいた気配が消失していた。
「山神様・・・・・。」
 黙り込んだ真琴に鐘砥が背後から声をかけた。
「真琴。狐の祠、行くか?」
「うん。」と真琴は元気なさげに答えた。そして、鐘砥の方を向いて「どうゆうことなのかな」と独り言のように呟いた。すると、鐘砥は「考えても仕方ねえよ。とにかく、狐の祠に行かねえと。」と答えた。真琴は「うん、そうだね」と言って歩き出す。その歩調に合わせて鐘砥も歩き出した。
「ねえ、鐘砥。」と真琴が鐘砥に歩きながら問いかけた。すると鐘砥は「ん?なんだ」と歩きながら言った。すると、真琴は「《蛟(みずち)》って知ってるか?」と問うた。
「竜か」と短く鐘砥は答えた。すると、真琴は頷いて「うん、そう。」と言った。そして、「妖狐に力を貸している《水気》の妖、もしかすると《蛟(みずち)》かもしれない。」と言った。それを聞いて鐘砥は「まさか。そんなこと、あるのか」と言った。それを聞いて真琴は凛とした瞳で「ありうる。最初にここへ来たとき、感じた強い妖気。もしかすると、《蛟(みずち)》と思ったんだ。だけど、そんなことはないと思った。でも、山神様の反応を見てはっきりとわかった。」と言い放った。
「・・・・・・・?」
「山神様は、『言えない』と言った。つまり、それほど格が高い妖ということ。《蛟(みずち)》は水の神と見間違うほどの妖。」と真琴が言うと鐘砥は合点がいったように頷いた。
「なるほどな。ここの山の神は、ここの神になってまだ十数年だもんな。まだ格がそれ程高くはない。上の者には逆らえないもんな。神の世も、人の世も。」
「そういうこと。」と真琴は言った。
 
 あれこれ話しているうちに、二人は狐の祠に着いた。しかし、何の気配もない。
「本当に、ここにいるのか?」
 鐘砥が素朴な疑問をぶつける。
 真琴は辺りをぐるりと見回す。
「大戸日別神(おおとひわけのかみ)様の気配が微かにする。」
 そう言って真琴はすうと目を閉じる。すると、大戸日別神(おおとひわけのかみ)でも老婆でもない気配が辺りに満ちた。
《会いに来てくれたのですか?》
「え?」
 そう真琴が声を発し、目を開けた刹那。
 ズガッッ!
 目にも留まらぬ速さで銀色に鈍く光る何かが、真琴の頬をかすめた。
 気がつけば真琴は鐘砥に抱かれるような体制になっていた。それから、真琴は視線を走らせ自分がいたであろう場所の地面に小振りの刀が突き刺さっていた。よく見れば、鐘砥の右手には天羽々斬が握られていた。
「鐘砥!ごめん」と真琴が鐘砥に言うと鐘砥は「大丈夫だ。それより」と言って視線を前方へ走らせる。真琴もその方向へ目を向けた。すると、そこには小柄な少年が立っていた。「邪魔しないでください。思兼神(おもいかね)の血を引く者。ねえ、真琴さん」
 真琴の中に響いていた声が耳へ入ってきた。「僕を呼んだのは、お前か」
 鋭い声で真琴が言った。すると、小柄な少年は不気味な笑みを浮かべて「遊びましょうよ。真琴さん」と言った。すると、真琴は鐘砥の体から離し「ごめん、鐘砥。少し遊ばせて」と言った。鐘砥は驚いたように目を見開いた。
「バカか!お前は!」と鐘砥がほえるように言った。
「大丈夫。僕は、負けない」
 凛とした声で真琴が言い放つ。すると、鐘砥はおとなしく引っ込んだ。それを確認して真琴は懐から長い何かを取り出した。
「あれ、《真名》の効果がありませんね」と少年は言った。
「《真名》?僕は、《真名》を使わないんでね。」と真琴は答えるように言った。
「・・・・・・!《伏せ名》か」
「そう《真琴》は《真名》を握られないようにするための《伏せ名》。」
 真琴は長い何かを振った。すると、扇状のものになった。どうやら長い何かは扇子のようだった。淡い蒼のそれは、月光を浴びてキラキラと輝く。
「冥土の土産にお前に教えてやる。僕の本当の《真名》は  」
 その刹那、扇は一振りの刀に変わった。銀色に鈍く光る刃。その刃を少年めがけて振り上げる。
「桜の女神、木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)からとって月見里、佐久夜」
振り下ろされた刀は、少年の目の前でピタリと止まる。
「ここから立ち去れ! 急々如律令!」 そう真琴が唱えると、少年の姿は霧のように消えた。それを確認すると真琴は刀を元の扇子に戻した。そして、懐にしまいこむ。
「あいつ、どっかから紛れ込んできたんだな」 ボソリと真琴が言った。
「まあ、弱い妖気だったしな。」と鐘砥が答えるように言った。
「うん」と短く答えて真琴は「大戸日別神(おおとひわけのかみ)様の気配もお婆さまの気配も全部、消えてしまったな。」と呟いた。その声はなぜか寂しそうだった。そんな声を聞いて鐘砥は「ああ。一体何がこれから起こるんだろうな。俺には全く見当もつかないが。」と答えるように言った。その答えを聞いて真琴は、はっと息を飲んだ。
「見当も・・・・・・つかない?」
「ああ、俺には全く・・・・」
 真琴は、鐘砥につかみかかる勢いで詰め寄った。
「うそつけ!お前、何か知ってるだろ!」
「ば、バカを言うな。俺がお前に隠し事をして得する事なんて無いぞ。」と鐘砥は焦燥を隠しながら必死に訴える。
「じゃあ、さっきの奴はどう説明するんだ!」
「だ、だから、どっかから紛れ込んできたんだろ。」
「それが、おかしいと言っているんだ。」と真琴は凛とした声を張り上げる。
「『月面神社』の結界は、強力でこの地にはなかなか、あんな三下みたいな妖は入って来れないはずだ。なのに、僕がこの地を離れている間に、あんな妖が出入りできるなんて」
 そう真琴が言ったときだった。
「お前に何が判るんだ!」
 今度は鐘砥が声を張り上げる番だった。その刹那、ビクッと真琴は体を震わせた。
「琴音は、かんなぎとしての力はあっても神子としての力は全くない。だから、俺は琴音の変わりにこの地に結界を張り巡らせてきた。それも、小さいときからずっとだ。」
真琴は口をはさまず、静かに聞いている。否、口をはさむことが、言葉を発することが出来なかった。
「同級生とも遊ばせてもらえず、ただ、『月面神社』の神子を守る役割だけをただこなしてきた。俺の親父がこなしてきたように。なのに俺の代になって急に『月面神社』はどんどん廃れていった。」
 真琴の目は何かを確信したようだった。その確信はどうやら良い確信では無いようだった。
「そんな折だ。妖狐の封印が解けたのは」
 真琴は鐘砥の言葉に懸命に耳を傾けている。
「悪い、こんな事いうつもりじゃ無かったのに・・・・・・・。」
 鐘砥の口調が、ふと普段の穏やかなものに戻った。しかし、その声はとても悲しそうだった。
 真琴は、首をゆるゆると横に振った。
「ううん、いいんだ。これで。だって鐘砥は、僕よりずっと、つらい思いしてきてるの知ってるから。」と言って真琴は区切ってから「あのさ、鐘砥。十年前、どうして僕は本家を出たんだと思う?」と鐘砥に問うた。すると、鐘砥は「何かに縛れるのが、厭だからか?」と答えた。
「違うよ。恥ずかしかったんだ。」
「え?」
 鐘砥は目を見開いた。
「十年前さ、鐘砥は僕に言ったよね。『大好き』だって。そんなこと、言われたのが初めてで、鐘砥と目を合わせられなくなって。それで、東京にいる父さんに頼んで、一緒に住むことにしたんだ。」
 鐘砥は、ふと思い出したように空を見上げた。空は、闇色に塗りつぶされており、光は月光だけだった。
「そっか。」と鐘砥は呟く。そして、「なんだ。本家の人間とか、そういうのに縛られるのが厭だったわけでは、無いのか。」と言った。すると、真琴は「うん。そうだよ」と答えた。「つまりさ、真琴。お前は、俺が好きなんだな。」
「は、はああああああ?そんなこと、ひっ一言も言ってないっっっっっ!」
「でも、照れたんだろ。」
「いや、そうだけど。でも、これとこれは話が別!好きじゃない!ぜんっぜん、好きじゃない!これっぽっちも好きじゃない!!!」「なあ、知ってるか。ことわざでな、こんなのあるんだ。」と言って鐘砥は、一秒ほど間を開けた後、「厭と頭を縦に振る」と言った。「う、うるさい!」
 真琴の怒号が、闇夜に響き渡った。

「鐘砥、覚悟!」
 早朝。まだ、二人は妖狐の祠にいた。
「お、おま、刀ぶんまわすんじゃねえ!」
 真琴は、刀とかした扇を鐘砥めがけて振り回していた。鐘砥は、必死にその刀から逃れていた。
「うるさい!覚悟しろ!」
「するかぁ!いいから、刀しまえ!」
 その刹那。
 ピタリ、と二人の動きが止まった。そして、二人の視線はある一点を見据える。二人の視線の先には、木々が広がるばかりだった。
「ねえ、鐘砥。」
 静かに真琴が声を発する。
「ああ。」
 鐘砥も同様に静かに声を発した。
「どうやら、おでましのようだ。」
 まるで、何かがこちらへ来ることを告げるように鐘砥は言った。すると、ふと木々しかなかった空間に気配がたった。そして、その姿を朝の日差しの元へさらした。
「はじめまして。神子さんに、守人さん。我が名は、《蛟(みずち)》です。」
 《蛟(みずち)》と名乗った、気配の主の姿に真琴と鐘砥は目を見開いた。《蛟(みずち)》の姿が少女の姿だからであった。それだけでは、無い。その《蛟(みずち)》の容姿は、愛らしく可愛らしい少女を連想させた。しかし、《蛟(みずち)》の浮かべている笑みはどこか不気味で背筋が凍るほどであった。そのため、真琴も鐘砥も凍ったように動けずにいた。
「おいおい、何だ。この程度でびびっちまったのか?神子さんに守人さん」
 嘲るように《蛟(みずち)》は言った。すると、鐘砥は「はっ」と今、目を覚ましたように動いた。「真琴!さがれ」
 そう言って、鐘砥は真琴の前に立ち、笛を刀に変化させた。
「へえ、天羽々斬か。洒落たもの、持ってるんだね。だけど」と言って《蛟(みずち)》は前に手を構える。
「そんなんじゃあ、我を倒すことなど到底できんな」
 《蛟(みずち)》の手から、何かが迸った。それは、水のようだった。
 それは、瞬く間に竜になり鐘砥の体を後方へはじき飛ばした。
 どんっ、と鈍い音が真琴の耳に届く。
「ぐっ・・・・」
 鐘砥の低い悲鳴が、その場に木霊した。
「鐘砥!」
 真琴は、固まっている体に鞭を打ち鐘砥に駆け寄った。
 カラン 。
 真琴の持っていた刀が地面に転がる。
「俺の事は、いいから。にげろ・・・・!」 弱い、けれど強い口調で鐘砥は言った。しかし、真琴は首を縦には振らず「ううん、僕も戦う。鐘砥だけ、戦うなんてダメだよ。」と言った。そして、鐘砥を庇うように鐘砥の前に立ち、背を向ける。その刹那、《蛟(みずち)》を真っ直ぐ見据える。そして、かけていた眼鏡をゆっくりと外した。その眼鏡を懐にしまい込んだ。
「ふうん、腑抜けかと思ったが思い違いか」と《蛟(みずち)》は余裕の笑みを浮かべる。
「臨」
 真琴は、そう唱えて、右手の指を二本立てて左から右へ空を切った。
「兵」
 上から下へ空を切る。
「闘」
 また、左から右へ空を切った。
「者」
 そして、上から下へ空を切る。
「皆」
 右から左へ空を切る。
「陣」
 上から下へ空を切る。
「列」
 右から左へ空を切る。
「在」
上から下へ空を切る。
「前」
 右から左へ空を切った。
 その刹那。気絶していた鐘砥の周りに何かがまとわりついた。
「九字護身法か・・・。確か、密教だったかな。」
 《蛟(みずち)》が、ぼやくように言った。
「ご存じでしたか。では・・・」と言って真琴は「呪符」を取り出した。
「急々如律令、奉導誓願可、不成就也」
 そう真琴が唱えた。すると、《蛟(みずち)》に何かがまとわりついた。
「へえ、連続でそこまで術が使えるなんて、すごいんだね。でも」
 《蛟(みずち)》は何かを苦もなく、引きちぎる。
「人間にしては、ね」
「・・・・・っ」
 真琴は、声にならない悲鳴を上げた。
「あれだけ、強力な印を二回も、しかも連続で結んだんだ。もう、体力のこっていないだろう?」
 真琴の息は、上がっていた。
「はぁ・・・・はぁ・・・・」
 その刹那、真琴はガックリと膝を地面についた。
「う・・・、ぐ。まだ、だ」
「ほう、まだ食い下がるのか。でも、もう持ちそうに無いよ。もう、これで終わらせてあげる。」
 《蛟(みずち)》は手をかざす。
 すると、真琴はニヤリと笑みを浮かべた。
「僕は、水。《陰》の《水》。我に従え、急々如律令!」
 そう真琴が唱えた刹那。
「な・・・・んだ」
 《蛟(みずち)》の体がピタリと動きを止めた。そして、《蛟(みずち)》の余裕に満ちた顔が、歪んだ。
「貴様!《陰》の《水》を送り込みやがったな!」
 そう《蛟(みずち)》が叫ぶや否や《蛟(みずち)》の体は、水となって砕け散った。
「すみません。《蛟(みずち)》は《水神》でもいらっしゃいます。つまりは《陽》の《水》を司ります。そんな神様が、同じ《水》でも《陰》の《水》を体の中に送り込まれたら、《気》の流れは止まってしまいますよね。《気》の流れは、動物も木々も人も。そして、神様も持っていますから。」
 そう真琴が《蛟(みずち)》に言うように言った。その言葉を誰かが繋げた。
「なるほどな。《気》というのは、少しでも違うのが加わってしまうと、体のどこかに異変が訪れる。     神でも、そんなことは思いつかんな。我でさえも」
「え?」
 そう真琴が声を上げた時だった。
 すとん、と真琴の前に何かが降り立った。その何かに真琴は息を飲む。
 黄金の月のような髪。その髪は地面につくほど長い。その髪のてっぺんにあるのは、二つの二等辺三角形。髪と同色の尻尾は、九本あった。そして、男とも女とも似つかぬ中性的な体つきをしていた。
「お主が、今の神子か 。」
 先ほど、真琴の台詞をつないだ声だった。
「妖狐!」
 真琴はとっさに懐に手をのばした。しかし、扇を掴もうにも、刀と化していた扇は鐘砥のすぐそばにあった。
(しまった!)
 真琴はじんわりと汗を浮かべた。
 妖狐は黄金色の扇をぱっと広げる。
「のう、神子。お主は、今までどのように育てられた?」
「え?」
 あまりに突然の問いに真琴は、当惑の表情を浮かべた。
「『妖狐』の封印を守るように言われなかったか?」
 その言葉に真琴は小さく頷いた。
「やはりな」
 妖狐は扇で自らを仰ぐ。
「え?どういう事ですか?」
 真琴は妖狐に問うた。すると妖狐は「お主らが『媼(おうな)』と思っている奴は、六百年前、儂が邪魔で封印したんだ。」と言った。
 真琴の目が大きく見開かれる。
「なんで?」
「儂が奴が犯した罪について、高天原で尋問をかけたからだ。それで、邪魔になって儂を封印したのだ。」
「え?つまりお婆さまは、人間では無いと言うことですか」
 真琴が静かに言った。
「ああ、あやつの本名は石長比売(いわながひめ)だ」
「 !」
 真琴は、声にならない驚きに体が固まってしまった。
「知っておるのか。」
 妖狐は静かに問うた。
「はい。妹である木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)が子供を授かった時に呪いをかけたんですよね」
「ほう、なかなかやるな。そうだ。そして、儂はその件について尋問をかけたのだ。だが、奴は儂を封印した。そして、代々の神子を封印を守る者といいながら『犠牲』にしてきたのだ。」
 真琴は、言葉を失った。そして、真琴の中で何かがちぎれた。
 プツリ と真琴の信じてきたものが何だったのか、わからなくなった。
「ふざ、けんなよ」
 かすれた声が真琴の耳に届いた。その声は真琴の後方でした。真琴は後ろを振り返る。 鐘砥だった。
「鐘砥!大丈夫なのか!」
 真琴は、鐘砥に駆け寄った。すると、鐘砥は「大丈夫だ」と短く答え、妖狐をまっすぐ見据えた。
「おい!妖狐、今の話は本当なのかよ!」
 鐘砥が吠えるように言った。
「本当だ。儂は、白狐じゃぞ。それに、このままでは神子は死ぬことになる。」
 ゾクリ 。
 何とも言えない衝動が、真琴の心臓を貫くように駆けめぐる。
「・・・・・・っ」
 真琴は声にならない悲鳴を上げた。
 鐘砥は歯をギリッと噛んだ。
「なあ、儂と手を組まぬか。お主ら」
「え?」
 二人は顔を見合わせる。
 妖狐は不敵な笑みを浮かべる。
 真琴はゆっくりと頭を妖狐に向けた。
「わかりました。」
 凛とした声で真琴が言った。すると、妖狐は「うむ、ならばお主らに我が《真名》を授けるとしよう。」と言った刹那。
《我は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)》
 きぃぃぃぃぃぃいん 。
 その声は、真琴と鐘砥の頭の中だけに響いた。その力の大きさに真琴と鐘砥は思わず軽い目眩を覚えた。
「お稲荷さま・・・・・?」と真琴が呟く。
「おうよ!」
 妖狐こと宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は人なつっこい笑みを浮かべた。この笑みが、この神様の本当の顔なんだと真琴は思った。
 真琴の表情が、ふと緩んだ。すると、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は「堅苦しい顔は儂は好まん。最初から、そう笑っておれ。」と言った。それを聞いて真琴は、鐘砥を見た。鐘砥は、口の端を上に上げて頷いた。真琴は、少しだけ肩の力を抜いた。そして、眼鏡をかけて「はい!」と満面の笑顔で答えたのだった。

 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と真琴と鐘砥は、石長比売(いわながひめ)と大戸日別神(おおとひわけのかみ)を探すことにした。
 どこまでも続きそうな山の中を一柱と二人が練り歩く。
「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)様。気配、感じませんか?」と真琴が問う。
「否、全然。っていうか、真琴。その呼び方は止めろ。せめて御饌津神(みけつかみ)と呼べ。《真名》を軽々しく呼ぶでない。」と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ことミケツカミは言った。すると真琴は「あ!ごめんなさい。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)様・・・あ!」と言った。ミケツカミは軽く苦笑し、「まあ、良い」とだけ言った。
 鐘砥は、会話を聞きながらあらゆる気配に気を配っていた。そして、ふと足を止めた。
「これは・・・・・」
 鐘砥が呟いた。そして、かがんであるものを拾い上げた。それは、扇だった。
「この扇子。大戸日別神(おおとひわけのかみ)のじゃないか」
 鐘砥が、そう言うと真琴とミケツカミが駆け寄ってきた。
「まずいかも、しれぬ。」
 ミケツカミが言った。その台詞に真琴と鐘砥は顔を上げた。
「え?」
 その瞬き一瞬の後。
 ズン 。
 重い何かが、落ちてきた。それは、美しい銀髪の一柱。
 大戸日別神(おおとひわけのかみ)、出入り口の神だった。
「大戸日別神(おおとひわけのかみ)さま!」
 真琴が、真っ先に大戸日別神(おおとひわけのかみ)に駆け寄った。その真琴の前に一人の少女が、たった。その少女は真琴のよく知る人物で 。
「こと、ね?」
 かんなぎ、琴音だった。しかし、彼女の髪は無惨にも肩までの長さしか、なかった。
「髪、どうしたの?」
 いつもと違う雰囲気に真琴はたじろぎながら、問うた。すると、琴音は不気味な笑みをじんわりと浮かべた。
「切ったのよ。私の汚い髪なんて、いらない。鐘砥さんに認めてもらえない、髪なんていらないわ。むしろ、邪魔よ。」
 真琴の目が大きく、見開かれた。
「ことね・・・・?なに、言ってんの?」
 真琴の声は、震えていた。
「ふふ・・・・。妖狐の封印解いたの、私なの。」
 琴音は、淡々とした口調で言った。
「!」
 真琴と鐘砥は、ただ驚きの表情を浮かべる。
「好きな人に認めてもらえないなら、いっそこんな世界、滅んじゃえって」
 鐘砥は懐に入れてあった「呪符」に手をのばす。
「でも、妖狐はお婆さまから聞かされてたのとは全然違うかった。それどころか、私が真琴に手を下そうとする度に邪魔してくる。」
 真琴は前に感じた痛みを思い出した。
「そんな時よ。《蛟(みずち)》様が私に手を貸してくれるとおっしゃったわ。」
 鐘砥は、「呪符」を持った状態で、琴音に耳を傾けていた。
「どうして?ねえ、鐘砥。どうして、好きになってくれないの?ねえ、鐘砥」
 壊れたラジオのように琴音は、同じ問いを鐘砥に繰り返す。
「私は、あなただけを思っているのに。あなたの目に映るのは、佐久夜だけなのね。」
 真琴の体がビクンとはねた。
「なら、いっそ。一緒に殺してあげる。」
「 !」
 真琴と鐘砥が息を飲んだのは、ほぼ同時だった。その刹那。
「目を覚まして、急々如律令!」
 真琴が叫ぶように唱えた。
「目を覚ましやがれ!急々如律令!」
 鐘砥は、吠えるように唱える。
 二人の声は、きれいに重なり合った。
 二人が取り出した「呪符」は黄色の閃光を帯びて、力の矛先はまっすぐ琴音に向かう。
 しかし 。
 その力は、二つともはじかれてしまった。
 バチィ!
「な!どうして」
 鐘砥が愕然として言った。
「私は、《水》。《陽》の《水》。」
 真琴は「はっ」として九字を結ぼうとする。しかし、間に合わなかった。
「ぐは・・・・・・!」
 真琴が地面の上に倒れ込む。
「まこと!」
鐘砥は、真琴に駆け寄った。
「おい!しっかりしろ!真琴、まこと!」
 鐘砥は何度も名前を呼ぶ。しかし、返事はない。
「鐘砥、大丈夫よ。気絶してるだけだから。」
琴音は、ゆったりとした足取りで鐘砥との距離を縮めていった。
「ねえ、かね 」
 琴音の言葉と足をミケツカミが遮った。
「さっきから聞いておれば、なんとも自分勝手な奴じゃな。お主は、人として恥ずべきじゃぞ。」
 ミケツカミは、琴音に刃を向ける。
「あら、引っ込んでくださいませんか。」
 生気の失った目で琴音は言った。
「人間風情が。調子に乗るでないわ。」
 ぐさり、と音がするはずだった。ミケツカミは刃で琴音の胸を貫いたのだから。しかし、音もなく血も流れることはなかった。
「な!お主、霊になっておったのか!」
 刃を握るミケツカミの手にも、手応えは全く無かった。
 その時だった。
 真琴のきれいな瞳が緩やかに開かれた。
「・・・・・・?かね、と」
 その朧気な瞳に、鐘砥の涙が降ってきた。「なんで、泣いてるの?」
 はっ、と鐘砥は真琴を見た。
「さく、や・・・・・・。」
 濡れた瞳で鐘砥は、愛しい人をとらえた。
「すまない、佐久夜。すまない・・・・」
 愛しい人に鐘砥は、申し訳ないという思いをこめた。
「かねと・・・・・?」
「琴音は」と事実を言おうとする鐘砥の声を嗄れた声が遮った。
「この地を守るため、『犠牲』となったのです。」
 その声の主は、老婆だった。
「『犠牲』・・・・・・?琴音が?どうしてですか?神子になることさえ、許されなかったのに・・・・・・?」
 ぼそりと真琴が言った。そして真琴は、ハッキリとした意識の中で老婆の姿をとらえた。その後、琴音の姿を探す。
「死んでいては、神子になれないでしょう」
 その老婆の台詞に誰かが膝をついた。その方向に真琴は視線を向ける。
 琴音だった。
「ひっく・・・・・うぐ」
 琴音が泣きじゃくる。
 その光景を見て、真琴は「ああ」と思った。
(夢で見た、あの光景はこれだったのか)と。そして、真琴は夢の通り愕然としていた。
「私は、この地のために命なんか捧げたくはなかった・・・・。だけど、私一人の命で鐘砥がいるこの地を守れるのならって」
 琴音は、老婆に縋り付いた。
「だけど、事実は違った!あなただけは、絶対に許さない!いままでの神子たちにも、謝ってください!」
 琴音が泣き叫ぶ。
「どうやら、正気に戻ったようだな。琴音」
 静かにミケツカミが言った。その声に琴音が反応する。
「はい・・・・。申し訳ございません、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)様。」と琴音が答えた。それを聞いてミケツカミは「別に良い、お主は少し気が狂っただけだ。」と言ってから後方にいる真琴に「おい!真琴、まだ動けるな?」と問うた。真琴は鐘砥から体を離し、自分の足で立ち上がる。そして「はい!」と返事する。力強く凛とした声だった。それを聞いてミケツカミは「よし」と小さく呟いた後、「鐘砥、お主は大丈夫だよな」と問うた。
「大丈夫ですよ。俺は」と鐘砥は答えた。
「うむ、では神様更生劇の始まりだ!」
 ミケツカミが大きな声で言い放つ。
「無駄なことを」と老婆が言った。
 その刹那、老婆の体がぐにゃりと歪んだ。そして、きれいな女性へと変貌した。
「これが我の本来の姿、石長比売(いわながひめ)である。」
 白髪がきれいな黒髪になり、嗄れていた声がピンと張った声になった。
「琴音!お主も、戦えるな!」
 大きな声を張り上げてミケツカミが問う。 琴音は、乱れた黒の髪を揺らして顔をミケツカミに向けた。そして、凛々しい瞳で頷いた。その瞳は濡れていた。
(大丈夫、戦える。私は、独りじゃない!) 心の中で琴音は、そう思った。
「かんなぎ、琴音。お主に我の力を与えよう。《金気》の《陽》だ!」
 その刹那、琴音が温かい光に包まれる。しかし、それも一瞬のこと。すぐに、光は失せてしまった。
 真琴は、懐から扇を取り出す。それを、小さく振った。すると、扇はたちまち刀へと変わった。その刀は、昼の暑い光を受けてまばゆく輝いている。
「天叢雲剣!」
 そう真琴が叫ぶ。それに答えるように刀がまばゆく輝いた。
 鐘砥も笛を取り出す。そして、軽く振る。たちまち、刀へと変貌する。
「天羽々斬!」と鐘砥が叫ぶと刀は天叢雲剣と同じように光を放つ。
「いくぞ、真琴!」
 そう鐘砥が真琴に声をかける。
「うん!」
 真琴は、返答した。
「無駄よ、刀じゃ我には勝てぬ。」
 石長比売(いわながひめ)は余裕をかまして言う。そして、扇を取り出す。それを、ぱっと広げた。
「伊弉冉尊様の元へお行きなさい。」
石長比売(いわながひめ)が言った。そして、真琴と鐘砥に向かって何かを放った。それは、まるで静電気のようにバチバチとなっていた。それを真琴は、必死に受け止めた。
一方、鐘砥もそれを刀でそれを受け止めながら「伊弉冉尊って言うと、地獄の神か。確か、息子の火之夜藝速男神に焼かれたんだっけか。だったら、お前も炎に焼かれて伊弉冉尊様の元へ行け!」と言った。そして、鐘砥の刀から、龍の形をした炎が現れた。それを石長比売(いわながひめ)へ向かうように、仕向ける。しかし、こともなげに石長比売(いわながひめ)にはじき返される。
「なっ!」と鐘砥が声を上げる。
「あらら、我は石長比売(いわながひめ)よ。炎なんて痛くも痒くもないわ」と皮肉をこめて石長比売(いわながひめ)が言った。
「鐘砥!石長比売(いわながひめ)は、岩の神だ!炎は効かない!」
 そう真琴が叫ぶ。すると、鐘砥は悔しそうに下唇を噛んだ。
「《土》を剋すのは《木》!」
 そう言うや否や、真琴は石長比売(いわながひめ)に向かって駆け出す。そして「急々如律令!奉導誓願可!不成就也!」と唱える。すると石長比売(いわながひめ)に何かが巻き付こうとする。しかし、石長比売(いわながひめ)は軽々しく避ける。
「この程度か」と石長比売(いわながひめ)が言った。だが、その顔が一瞬で悲愴に変わる。後ろに琴音とミケツカミがいたからだった。
「急々如律令!」
 琴音が唱える。すると、石長比売(いわながひめ)に木の枝などがまとわり付こうとする。
「ぐ!」
 石長比売(いわながひめ)は、それを必死に避ける。その後ろで鐘砥が刀を構えていた。
 完全に石長比売(いわながひめ)に逃げ場は、無かった。
「急々如律令!」
 今度は、真琴が唱えた。そして、刀を構える。そして、真琴が駆けだした、その刹那。
 ギリ 。
 真琴の刀と石長比売(いわながひめ)の扇がぶつかり合った。「天叢雲剣 か。別名、草薙剣。三種の神器の一つで、八岐大蛇から出てきた刀か」 石長比売(いわながひめ)が額に汗を浮かべながら言った。「ええ、そうですよ。僕が小さいときに天照大神様が現れて、くれたんです。」
 真琴は、答える。
「そうか。天照大神様が。」
 石長比売(いわながひめ)は、目をすうと細める。その瞬き一瞬の後、鐘砥の刀が石長比売(いわながひめ)の腰を貫いた。「・・・・・・っ」
 石長比売(いわながひめ)が悲鳴に似た声を漏らす。しかし、口元に不気味な笑みを浮かべる。
「やはり、あなた達は、その程度」
 言うや否や石長比売(いわながひめ)は、真琴の刀を弾き飛ばす。
 カリィン 。
 真琴の手から刀がゆるやかに離れた。
 扇を高く掲げる。
 サク。
 真琴の後方で刀の刺さる音がした。
「・・・・・・・っ」
 真琴は、何とも言えない焦燥に襲われた。
 その刹那。
 石長比売(いわながひめ)が、真琴に向かって強い力を放った。一瞬の出来事で、その場にいる誰もが動くことが出来なかった。
 真琴が死を覚悟した、瞬間。
「うわあああああああ」
 真琴ではない、悲鳴が轟いた。
「え?」
 いつの間にか閉じていた目を真琴は驚いて開ける。すると、誰もが唖然とし、ある一点を見つめていた。
 その視線の先には、石長比売(いわながひめ)がいた。
「どういうこと?」と呟いた後、足下にある物が落ちていることに気づいた。それは、大戸日別神(おおとひわけのかみ)からもらった「お守り」であった。そこで、ふと大戸日別神(おおとひわけのかみ)に「お守り」をもらっていたことに気づいた。
 真琴は、まだ気絶してる大戸日別神(おおとひわけのかみ)に(ありがとうございます。)とお礼を心の中で言った。そして、「呪符」を取り出した。
「おとなしく、高天原で尋問を受けてください 神様。」と真琴が凛とした声で言った。そして、「しないと、仰るなら」と言って右手に握っている「呪符」を強く握る。
「 !」
 石長比売(いわながひめ)は、驚いて目を見開く。
「急々に律令の如く従え!《木気》、律令封印!」
 真琴が叫んだ。すると、なんとも言えない光が辺り一帯を包み込む。
「ふっ・・・。我が知らない間に印を結んでいたのか。」
 石長比売(いわながひめ)が自嘲気味に言った。
「はい、神様」と真琴は答えるように言った。 石長比売(いわながひめ)は、真琴が今まで見たこと無い笑顔で笑った。その笑顔は、優しかった。
 すうと光が退くと、そこには小さな少女がいた。
「ふう、力を使いすぎてしまったせいで子供の姿になってしまった。」
 どうやら少女は石長比売(いわながひめ)のようだった。
「我は、高天原に行くとしよう。また会おうぞ。」と言って石長比売(いわながひめ)の姿は、宙に消えていった。
「悪いこと、しなきゃ良いけど」
 鐘砥がボソリとそんなことを言った。それを聞いて真琴は柔らかい笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。もう、きっと、しないさ。」と真琴は言った。
 その時。
「もう、お別れね。」
 そう琴音が言った。
 真琴と鐘砥が琴音に視線を向ける。
「え?」と真琴が、目を見開く。
「だって、私、死んでるんだもん。この世にとどまっちゃいけない。」
 琴音は、優しい笑みを浮かべた。
「そんな・・・・」と真琴は、悲愴に満ちた表情を浮かべる。
「私も、離れるの厭だよ。だけどね、別れなくちゃいけないこともある。かぐや姫が、月に帰るように。私は、伊弉冉尊様の元へ行かなくちゃいけない。」
 真琴は、顔をぐしゃぐしゃにして涙を流した。そして「嫌だよ、嫌だよ!琴音。まだ、都会がどんな所なのかとか、全く話してないよ!行かないで、もう少しだけ・・・・・いてよ」と子供のように泣きわめく。しかし、琴音は首をゆるゆると横に振る。
「ううん、だめなんだよ。私は、霊なの。ここに、いちゃいけない。ずっと、みんなのことを空から見守るから」
 琴音の口調は、穏やかなものだった。
 そして琴音は、鐘砥の方を見て「鐘砥、佐久夜を幸せにしてね。私のたった一人の友達なんだから。」と言った。それを聞いて鐘砥は目に涙をためて「ああ、もちろんだ」と答えた。
「よかった」
 琴音は、そう言って微笑む。
 その刹那。
 琴音は、初めからそこに無かったように消えていった。
「ひっく・・・・・琴音、ことねぇぇぇっ」
 真琴が、その場に倒れ込んで泣きわめく。
 鐘砥は、ただ無言で立ちすくんだ。
 その様を見ていたミケツカミは「琴音は幸せだな。こんなにも、思ってくれる人がいるんだからな」と静かに言った。
むくりと大戸日別神(おおとひわけのかみ)は、体を起こす。そして、今ある現状を少しだけ理解した。
(琴音が、この世の者ではない事を皆は知ってしまったのか)

 真琴は、海が出来るのではないかと思われるほど涙を流した。

 結局、真琴が泣きやんだのは夜になってからだった。しかし、しゃっくりは止まっていなかった。
「・・・・・ひっく、ひっく」
 なんとか真琴は、鐘砥に支えられながらであるが『月面神社』に着いた。
 
 会話もなく寂しい夕食になった。

 一緒に『月面神社』に来ていたミケツカミは、大戸日別神(おおとひわけのかみ)と夕飯を食べた後の食器を片付けながら声をかけた。
「のう、大戸日。おかしいと思わぬか」
「何がじゃ」と大戸日別神(おおとひわけのかみ)は返事をする。
「どうして《蛟(みずち)》は、琴音と手を組もうなどど考えたのだ?あやつは元々、そういう人間には手を貸さないはずなのだが」
「それは、ワシにも判らん。ワシは、そもそも《蛟(みずち)》と会ったことが無かったからな」
「そうか」とミケツカミは短く答えた。そして、小さく目を細めた。
「まだ、終わって無いのではないか。本当の宴は」
 ミケツカミが突然、そう言った。それを聞いて大戸日別神(おおとひわけのかみ)は「そうかも、しれぬな。」と呟いた後、「なあ、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)よ。これから神は、どうなって行くのだろうな」と問うように言った。するとミケツカミは「どうした?急に」と問いを問いで返した。
「神や妖を認識出来なくなっている人が多い。昔は、あれほどの人が神や妖を認識し神を敬ってきたというのに。こうなってきては、いずれ神は誰にも認識されなくなる。そうなったら、ワシらはどうなる?誰にも必要とされなくなるのではないか」
 独り言のように大戸日別神(おおとひわけのかみ)が言った。
「別にいいさ。」とミケツカミは答えた後「たとえ、誰にも認識されなくなったとしても、この世を創ったのは神なのだ。人知れず、人々を守り続けるよ。」と言った。それを聞いて大戸日別神(おおとひわけのかみ)は「そうだな。」と微笑んで言った。

 真琴は、ひとり自分の部屋のベットの上にいた。
「・・・・・っ」
 散々、流したはずの涙が独りになると、また溢れだしていた。
 本来なら、食器の後片付けをしなければならないが、大戸日別神(おおとひわけのかみ)に「今日は部屋で休め」と言われていた。
「・・・・・ごめん、ごめんね。琴音」
 真琴は、何度言ったか判らない言葉を口にした。
 その時、真琴の部屋の襖が開いた。
「やっぱり、泣いてたか」
 その優しい声に真琴は、体を起こした。
「・・・・・・鐘砥」
 ぼそりと、その人物の名を呼んだ。そして、無意識に飛びついた。
「ひっく・・・・・ぐず」
 真琴の涙は枯れなかった。
「すまない」
 突然、鐘砥がそう言った。
「え?」
 真琴は、驚いて涙で濡れた瞳を、鐘砥に向けた。
「『犠牲』にされてたなんて知らなくて、親友を守れなくて、すまない。」
 その台詞を聞いて真琴は、首を横に振る。
「鐘砥は、悪くない。」とだけ真琴は言った。否、言えなかった。それ以外の台詞が口から出なかったのだった。
「・・・・・いや、俺は結果的に真琴を傷つけた」
「じゃあ、鐘砥は?鐘砥だって傷ついてるじゃない。だから、おあいこだよ。」
 真琴の台詞に鐘砥は少なからず驚いた。そして、真琴の体をそっと抱きしめた。
 その手は、震えていた。 
 まるで、壊れそうなガラス細工を持つかのような手だった。

 食器を片付け終えて大戸日別神(おおとひわけのかみ)は、縁側に座っていた。そして、かつて愛した人の言葉を思い出していた。
『生きとし、生ける者には必ず理由がある。人として産まれた理由。そして、神として産まれた理由も』
(・・・・・・理由、か)
 あの人は最後まで素晴らしかった、と大戸日別神(おおとひわけのかみ)は思った。
(最後に愛しいあの人は、こう言っていたな)
『人は、命短しというけれど、それはそれで素晴らしいと思うんだ。短いからこそ、出来ることが沢山あるはずなんだ。ぼくは、きっと後悔なんかしない。』
(あの夜も、きれいな満月だったな)
 ふと大戸日別神(おおとひわけのかみ)は、そんなことを思った。
 黒に近い蒼の空を見て大戸日別神(おおとひわけのかみ)は、笑みを漏らす。
(刹那という極めて短い時間が、大切であることをあの人は教えてくれた。)
 そう、あの沖田総司は。

 やがて、泣きやんだ真琴は深い眠りに落ちていった。
(宴は・・・・・、まだ、きっと終わってない。真琴、すまない) 
 そう心の中で鐘砥は謝って、部屋を出た。そして、自分の部屋へ行き「呪符」を何枚か懐に入れた。
 その時。
「こんな時間に、何処へ行く」
 するどい声が鐘砥の耳に届いた。すると、鐘砥は振り返って、声の主を確認した。
 そこには、ミケツカミがいた。
「宴は、まだ終わっていません。おそらく、俺たちが本当に追っていたのは『月面神社』のことでは無く、もう一つ違う何かかと」
 鐘砥は、言った。
「良いのか?神子を連れて行かなくても」
 ミケツカミが言う。
「俺、一人で大丈夫です。俺は《金気》を司るんですから。《金気》は『力強く悪を退ける』者」
 鐘砥は、ミケツカミに笑って見せる。
「そうか、ならば儂も同行しよう。おもしろい物を見せてくれそうだ。」
 そうミケツカミは言った。
 鐘砥は、そっと息を吐き出した。

 一人と一柱の影が、真夜中の月光に照らされて揺らめく。
 その二つの影は、山の奥で揺れていた。
「おい!鐘砥、どこへ行くつもりなのだ。」
 一柱のミケツカミが問う。
「《蛟(みずち)》は水の神でもあります。神であるのに何の理由もなく俺たちを襲うはずがありません。もし、あるとするならば」
「市寸島比売命(いちきしまひめ)が、そそのかした、と」とミケツカミが鐘砥の台詞をつないだ。
 鐘砥は静かに頷く。
「理由は、わかりませんが。」
「そんなもの、本人に聞けば良かろう」と言ってミケツカミは、目の前にいる誰かを扇で指した。
 それは幼い少女のシルエット。
 話にあがっていた市寸島比売命(いちきしまひめ)だった。
「ほう、さすがは思兼神(おもいかね)の血を引く者だな。」
 市寸島比売命(いちきしまひめ)が不気味な笑みを浮かべた。しかし、鐘砥もミケツカミも足を一歩ひいたりする事は無かった。それどころか、冷たい瞳で睨み付ける。
「何が、したいんですか」
 鐘砥が静かに問うた。
「何もない人生など、つまらないであろう。それと同じ事じゃ。妾も暇なのじゃよ」
 鐘砥の眉間がピクリと動いた。
「そんな、つまらないことで琴音は踊らされたのか。そんな・・・・・そんな」
 鐘砥が一気に笛を刀に変えて、市寸島比売命(いちきしまひめ)に襲いかかる。
 しかし、事も無げに刀は市寸島比売命(いちきしまひめ)にあっさりとかわされてしまう。
「ふっ、妾を楽しませて見せよ。守人よ」
「・・・・・・・っ」
 鐘砥は声にならない悲愴を顔に浮かべた。
「あいつは、あんなに苦しんでいたのに、お前はあいつの心を弄びやがったのか!」
 鐘砥が吠えるように叫ぶ。その鐘砥の赤みがかった茶色の瞳の奥に、悲しみの色が浮かんでいた。
「お前も、人間か」
 つまらなそうに市寸島比売命(いちきしまひめ)が言った。
「水は、万物を潤す。そして、冬の象徴」
 市寸島比売命(いちきしまひめ)は、そう言葉をつなげて言った。そして、「神の力を受けるがよい。」と言って扇子を手に持ち高く掲げる。
 すると、どこからともなく風が吹いた。
 強い、避けられそうにない風が。
「ぐっ」
 鐘砥は、両手で顔を庇いながら強風の中、市寸島比売命(いちきしまひめ)を探す。しかし、見あたらず鐘砥の心の中に焦燥がじわじわと押し寄せてきた。その焦燥を振り払うように鐘砥は市寸島比売命(いちきしまひめ)を探すのに目をこらす。
「鐘砥!後ろ!」
 その声に驚いて鐘砥は、振り返る。すると、後ろに市寸島比売命(いちきしまひめ)がいた。市寸島比売命(いちきしまひめ)は小さく舌打ちする。そして、「神子か」とぼやいた。
「え?」
 鐘砥は先ほど声がした方へ視線を走らせる。すると、そこには『月面神社』にいるはずの人物がいた。
 月光に当てられてきらきらと輝く、闇色の髪。それと同色の瞳も、宝石のように輝いて見える。
 真琴だった。
「なんで、お前が」
 呆然と鐘砥は言った。すると、真琴は鐘砥に駆け寄った。
「鐘砥は、自分一人で何とかしようとする。鐘砥の悪い癖だよ。鐘砥が何かしようとしていることぐらい、わかる。もっと、僕を頼ってよ」
 真琴が少し照れたように言った。すると、鐘砥は優しい笑みを浮かべた。
「ああ、ありがとな。佐久夜」
 たたでさえ、優しい鐘砥の声色が一際やさしくなった。
 真琴の頬が少し紅く染まり上げられる。
「べ、べつにお前のことが心配になったとかそんなんじゃなくて、その」
 真琴が歯切れ悪く言った。すると、ミケツカミが寄ってきて、「おい、そこのバカップル。ラブラブするのは構わんが、こやつを片付けてからにせよ」と言った。
「バカップルじゃない!」と反論したのは真琴だけだった。
「ふっ・・・・。妾を無視するとは、いい度胸じゃ」
 市寸島比売命(いちきしまひめ)は怒って、真琴と鐘砥に向かって何かが放たれた。それは、水の玉のようだった。すると、鐘砥は真琴の前に立ちはだかり刀を構える。
 水の玉は刀に、難なくはじき返される。しかし、小さな水の飛沫が鐘砥に飛んだ。
「ぐっ・・・・!」
 鐘砥は、短い悲鳴に似た声を漏らした。
「鐘砥?」
 真琴が心配そうに鐘砥の顔をのぞき込む。「毒の入った水は、辛かろうぞ。」と市寸島比売命(いちきしまひめ)が笑いながら言った。
 その刹那。
 真琴は、「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」と唱えた。すると、鐘砥と真琴に何かがまとわりついた。
 そして、「急々如律令!」と叫ぶ。
 市寸島比売命(いちきしまひめ)に何かがまとわりつこうする。しかし、難なくかわされてしまう。
「むだじゃ、むだじゃ」
 市寸島比売命(いちきしまひめ)は、余裕の笑みを浮かべる。 真琴の額に汗が浮かぶ。
「いっておくが、妾に《陰》の《水》を送っても、無意味じゃぞ。妾は完全な水の神。そのものの力、すべてを司るのだからな」
 真琴が悔しそうに唇を噛んだ。
 その時。
 市寸島比売命(いちきしまひめ)の背後にまわっていた鐘砥が、市寸島比売命(いちきしまひめ)の脇腹を刺した。
 ぐさっ  ぽた、ぽた。
 赤い血が地面に滴り落ちる。
「な!貴様、いつのまに」
 市寸島比売命(いちきしまひめ)は一瞬、顔が悲壮で歪んだ。しかし、また先ほどの笑みに戻り、自らの肘を鐘砥の鳩尾に食い込ませた。
「ぐはっ・・・・・!」
 鐘砥が地面に崩れ落ちる。
「なにも、術を使うのが全てではないわ。」
 吐き捨てるように市寸島比売命(いちきしまひめ)が言った。「九字護身法では、術はある程度は効かなくなるがな。暴力は、防げまい」
 真琴は、拳を握りしめる。そして、「月に叢雲、花に風ですね」と呟いた。
「いつでも帰れば、そこにあると思ってた。『月に叢雲花に風』という言葉を知っていれば、そんなことは無かったのに。」
 真琴が独り言のように呟いた。
「『叢雲』が『月』の邪魔をするのなら、その『叢雲』を切り裂いてやる。きれいに咲く『花』を『風』が散らすのなら、その風を僕が止めてやる!」
 そう真琴は叫んだ。そして、扇を取り出した。その刹那、扇は刀へと変わる。
「やっと、本気を出したか。神子」と市寸島比売命(いちきしまひめ)は言った。
「僕は、神子なんだから!」
 決意にも似た声が月夜に響く。
 真琴が市寸島比売命(いちきしまひめ)に斬りにかかる。それを市寸島比売命(いちきしまひめ)がよける。
 一方の鐘砥は、刀を杖にして立ち上がろうとするが、立ち上がることは叶わなかった。
「くそっ・・・・・!」
 鐘砥が毒づく。
 すると、ミケツカミが寄ってきて「お前は、休んでおれ」と言った。
「佐久夜が戦っているのに、俺が戦わずにじっとしているなんてできるか!」
 鐘砥が怒鳴るように言った。
 ミケツカミは、それを気にした様子もなく薄く笑みを浮かべる。
「お主は、神子だから真琴、否。佐久夜を守るのではなく、佐久夜だから守るのだな」
 ミケツカミは刀を振るう真琴を見る。
「幸せだな。あやつは」
 市寸島比売命(いちきしまひめ)が真琴に反撃し始めた。真琴に水の礫をぶつけてきたのだ。
「ミケツカミ様は、戦わないですか?」
 鐘砥が、ふとミケツカミに疑問をぶつける。「儂が戦っても意味無かろう?お主らが戦ってこそ、この戦いには意味が出てくる。お主は、どうしたい?鐘砥」
 そのミケツカミがぶつけた疑問に鐘砥は、地面に転がっていた刀を握りしめる。
「戦う。俺は、大切な人を泣かせたくない」 言うや否や鐘砥は、駆け出す。
「其れでよい。お主は」とミケツカミは、空を見上げる。そして、「今宵は、早い黎明を迎えそうだな。」と呟いた。
 真琴の服は、水の礫を受けて破けていた。「真琴、大丈夫か!」
 鐘砥が真琴にそう問うた。すると、真琴は傷ついた顔に笑みを、浮かべた。
「うん!」
 その声は、凛としていた。
「よし!二人で、黎明に変えるぞ。」
 鐘砥は、そういって市寸島比売命(いちきしまひめ)を見据える。真琴も市寸島比売命(いちきしまひめ)を見据えながら「もちろん」と答えた。
「ふん、おもしろくなりそうだな」と市寸島比売命(いちきしまひめ)が呟くや否や真琴と鐘砥が声を重ねて「急々如律令!」と唱えた。
「戯言を」と市寸島比売命(いちきしまひめ)は余裕をかまして言う。しかし、ピタリと動きが止まる。
「なに・・・・・?」
 市寸島比売命(いちきしまひめ)が呟いた。
「神様、僕も鐘砥も神様の血をひいているんですよ。忘れましたか?」と真琴が言った。すると、市寸島比売命(いちきしまひめ)はおかしそうに「ふふ、お遊びがすぎて天照大神様に天罰を下されたのかな」と言った。
 辺り一帯が、光に包まれた。
 その刹那。
 光は失せて、市寸島比売命(いちきしまひめ)がいたはずの所は、泡だけが残された。
「ふわあ、疲れた。」
 そう真琴は言って、地面に膝をついた。
「そうだな。全く、迷惑なやつだった。」と鐘砥は真琴を見下ろした。
 その刹那、鐘砥の顔がみるみるうちに紅くなっていった。そして、鐘砥の鼻から赤い液体が滴り落ちる。
「鐘砥?」
 真琴は、首をかしげる。すると、ミケツカミが扇で真琴の胸の辺りを示す。
 真琴は、水の礫を受けて服が破けていた。つまり、真琴の淡く白い肌が朝日が照りつける下、さらけ出されていた。
「 !」
 かあああああ、と漫画の中で描かれそうな勢いで真琴の頬が紅潮してゆく。
「・・・・・っ」
 真琴が、息を飲む。
 鐘砥は未だに鼻血を流している。
「ちかぁん!」
 そう真琴は叫んで、鐘砥の鳩尾を思いっきり殴って気絶させた。

一週間後。
 真琴と鐘砥の怪我は完治した。そして、都会の方へ向かうため、二人と一柱はバスに乗っていた。
「 って、何で鐘砥までいるんだよ!ミケツカミ様は、いいとして!」
 真琴が叫ぶ。
「『月面神社』としての役割も、もう無いだろうからな。やることもないし、真琴の父親に挨拶しないと」
 鐘砥は、いたって真面目に答える。
「なに?何の、挨拶?」
 真琴はつかさず、つっこみを入れる。すると、ミケツカミは二人に割り込むように「しかし、儂は驚いたぞ。」と言ってから間を開けて「真琴が女だったとはな」と言った。
 真琴は、小さく笑って「昔から、よく男に見間違われますからね。」と言った。すると、鐘砥は「それで、いいんだよ。悪い虫がつかなくていいから」と言った。その表情は、どこか穏やかだった。それを見て真琴は頬を赤らめる。
「ふん」と真琴はそっぽを向く。
「『厭と頭を縦に振る』って、ことわざ、知ってる?」
 鐘砥は、優しい声色で言った。
「うるさい!」と真琴は、怒ったように言った。しかし、その声色には嬉しい声色が混じっていた。
(『厭と頭を縦に振る』 口では「厭」だと言いながらも頭を縦に振って、心の中では承諾している意。つまり、ツンデレ) ふと真琴は、そんなどうでも良いことを思った。そして、そっと笑みを浮かべた。
 

了(「小説家になろう」2013年 07月13日 20時24分 掲載)

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