〈幻草文庫。セレクション〉「風方剣文録」―第五章 盗賊―

2020年2月4日火曜日

過去作 長編

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 緊迫した空気が漂う中、フレデリックは固唾を飲む。すると、先ほどの幼い少女がやってきてフレデリックの前にひび割れた湯飲みを置く。そこにお茶を注いだ。また、老婆にも同様にお茶を注ぐ。そのお茶を老婆はゴクリと一口で飲み干す。フレデリックも同様にお茶を飲もうとしたが、寸前で唇を止めて顔をしかめる。

「このニオイ」

 そう呟いてハッとなる。周りを見れば、飢えた子どもと老人達がフレデリックの方を見ているのだ。それは、もう――おぞましい形相で。

「まさか、初めからそのつもりで…!」

 フレデリックは、そう呟くと荷物をひったくるように手に持って、そこから逃げるように退散した。

(お茶に入っていたのは、おそらく睡眠薬。しかも、あの者達は俺たちをずっと監視していた。俺たちに親切なふりをして荷物をかすめ取る気だったのか。あの様子だと俺たちを殺して――食べる気、だったのか)

 フレデリックは、チラリと見えた少女が持っていた“朝食”が気になっていた。それは、ただのスープであったが、今まで嗅いだこと無いくらいおぞましいニオイをしていた。しかし、ここまでこの街は飢えていたのだ。人を襲って、喰うしか生きられないほどに。そこまで考えて、フレデリックはゾッとした。

(まさか、アテナは奴らに食べられて――いや、それならそのときに俺も一緒に喰うはずだ。なら)

 アルマンディンの瞳に大きな建物である城を映す。そこにおそらくいるであろう、アテナを思い地面を蹴った。



 牢屋に閉じこめられてどれぐらいの時間が過ぎただろう。アテナのいる場所は光も射さないから全く見当も付かない。さすがにじっとしているのも飽きてきてアテナは、自力で口を覆っている布を外すと自分を見張っている男に声をかけた。

「ねえ、あなた。名前はなんていうの? 私は、アテナっていうの」

 男は僅かに眉根を寄せたが、「ルディ」と小さく答えた。それを聞いてアテナは、少しばかり頬を緩ませる。

「そう、ルディというのね。あなたはなぜ、地主に従っているの?」

「お前には関係ない。それに地主よりも非情なのはスラム街のやつらだろ」

「スラム街?」

「あんたらが寝ていた場所だよ。あいつらは地主の納税に苦しみ、税が納められなくなった連中だ。あいつらは今やただの人喰いさ。外から来た人間に奉仕しているふりをして招き入れ、二、三日置いてやってると思ったら、殺して持っている荷物を全て盗んで喰ってる。あいつ等の方が卑劣で最低だ」

 ゾク――言い様のしれない深い深い闇がアテナの心を覆う。

「早く、フレデリックを助けに行かなきゃ!」

 アテナは思わずそう叫んで鉄格子を手で掴む。たちまち、手首を締め付けている手枷が音を立てると共に手首に痛みを走らせた。それと共に鉄格子がうるさい音を立てる。ルディと名乗った男は呆れ半分でアテナを眺めていた。

「アンタ、自分の立場わかってんの? 地主に捕らえられてんの。そんな男の心配より、自分の心配すれば?」

「私なんかよりも彼の方が心配に決まっているじゃない!」

 アテナが怒りにまかせてそう言うとルディは、小さく後ずさった。けれど、それも一瞬のこと。すぐにいつもの調子に戻る。

「なんかって…自分の心配しろよ。アンタって本当に変わってんな」

「…え」

 アテナの紅蓮の炎のような瞳が見開かれる。その瞳には、確かに血の通っている人間だと確信せざるを得ないほど優しい笑顔を浮かべたルディが、そこにはいた。そんなルディは鉄格子に顔を寄せるとアテナのそっと耳打ちする。

「オレの仲間がここに乗り込んでくる。そうしたら、お前を解放してやる」

「それって…」

 ルディはアテナの言葉を待たずしてアテナが入っている鉄格子から離れ、地下牢を出て行った。ひとり、取り残されたアテナは足を抱えてうずくまる。すると、どこからか声が聞こえてきた。

「ねえ、そこにアテナって女の子いる?」

 その言葉に驚いてアテナは顔を上げる。しかし、ルディがランタンを持って行ってしまったから周りは見えない。

「わたしもね、地主様に捕らえられているから牢屋の中よ」

「あの、あなたは…?」

 アテナは、虚空に呼びかける。すると、案の定返事は帰ってきた。

「わたしは、イリス。よろしくね」

「ええ、よろしく」

 イリスと名乗った声の主は、くすくすと声を漏らした。

「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。わたしたちは、同じ牢屋仲間なんだから」

「ろ、牢屋仲間…?」

「ええ! なかよくしましょ」

 戸惑いつつも「ええ」と答えるとイリスは、またしてもくすくすと笑う。やがて、その声も聞こえなくなる。闇の中でまた沈黙が降りた。

(いつまで、こうしていればいいのかしら)

 絶望と劣等感に押しつぶされながら、闇の中で小さくため息を吐き出した。



 城に乗り込もうとするフレデリックに男が近寄ってきた。その男は、フレデリックの肩を軽くたたく。

「おい、策もなく城へ乗り込もうとするな。お前一人でどうこう出来る相手ではない」

 フレデリックは眉根を寄せたが、すぐに「確かに」と頷いた。すると、男は小さく微笑む。

「おれたちは、盗賊団なんだ。盗賊といっても、地主に一泡吹かせたい連中が集まっている。そして、今日それを実行する日なんだ。お前も同じ志なら盗賊団に入らないか?」

「悪いが、俺は盗賊団になんぞ入るつもりはない。だが、力を貸すぐらいなら貸そう。だが、俺は俺の目的を先行する。それを条件ならいいが」

 すると男は頷いてみせる。どうやら、承諾したようだ。そして、フレデリックを人気の少ない場所へ連れて行き古めかしい看板がぶら下がっている店へ入った。すると、そこは酒場のようで酒のニオイがツンと鼻に刺さる。それと同時に酒場にいた男全員がこちらを向いた。思わず体を強ばらせるフレデリックとは、別に男は平然としている。
 男は、皆の視線を一斉に受けつつ口を開いた。

「さっき、この男を仲間に招き入れた。城に一人で乗り込もうとした男だ。しかも、この体つき相当な手練れだとおれは見込んでお願いした。しかし、彼には彼の理由があって城へ乗り込もうとしていたから基本的にはおれたちの計画通りに動いてもらうが、彼の目的を先行してもらうことになる。いいな、みんな」

 男どもは、厳つそうな視線をフレデリックに送っていたが男の話を聞いて「おおおおおおおぉーーーー!」と雄叫びのような声を上げた。野太い声の大合唱にフレデリックは、思わず数歩、後ずさりする。そんなフレデリックの腕をがしりと掴まえて男は、にっこりと微笑んだ。

「今から彼に計画を説明する」

 そう言うと男は、フレデリックの手を引いて奥の部屋へ入った。
 奥の部屋は薄暗く、まだ日も高いというのに光が入らない。闇に目が慣れてくると、そこには木の椅子と木の机が設置されていた。男に促され机に近づくとそこには、城の内装を書いた紙があった。

「これは…!」

「これさえあれば、お前の目的とやらも達成出来るのではないか?」

 フレデリックは、確かにと頷く。その額には若干、汗が浮かんでいた。男は、そのことに気づいているか否か作戦を話し始める。

「今まで何人もの脱獄者が使ってきたこの地下水路は使わずに正面から行こうと思う」

「誰か、見つかった奴がいるのか」

 それを聞いて男は「ご名答」と人差し指を立てる。どうやら、フレデリックの言ったことは当たったらしい。

「前にな、脱獄しようとして見つかった奴がいるから、さすがに見張りの者を付けないほど無能ではないだろう。潜入する方法は――」

 そう言って男は屋上を指さす。

「ここしかない」

「しかし、どうやってこんな高いところに」

 フレデリックが問いかけると男は、「ふふ」と笑う。

「ここに昇るために古い階段がある。長い間誰も使っていないからかいつも、ここはがら空きだ。しかも、屋上から来るわけがないと思っているのか屋上の扉はいつも開けっ放しだ」

「なるほど、それでここから侵入」

「次に入った後の行動だが、城の中に潜入している仲間と合流。そのあと、城の中にいる兵士や使用人どもを催眠ガスで眠らせる。それから、この街に残しておいた仲間どもが住人に声をかけて城の攻め入る。その混乱に乗じて掴まっている人々を解放。どうだ? 何か質問はあるか?」

「俺は昨日、久しぶりにこの街へ訪れたのだが。一体、何があってこの街はこんな事になっているんだ?」

 男は真剣なまなざしへと変わる。その瞳は、鋭い。やがて、固く閉ざされていた口が開かれた。それは、まるで重たい扉を開くように。

「数年ほど前、地主は実にいい地主であった。しかし、王妃に先立たれ最愛の一人娘は何者かにさらわれたまま行方不明。それから、地主はふさぎ込むようになったんだ。それから、間もなく妙な男が現れてな。そいつは、自らを“まじない師”だといった。それからだ。地主が、おかしくなっていったのは」

 しばし沈黙が降りる。けれど、それを男が破った。

「そういえば、お前はスラム街へいったのか?」

「スラム街?」

「老人や子どもが多い貧困民ばかりの場所だよ」

「ああ」とフレデリックは頷く。そして、「あそこは人食いを平気で行う場所なのか?」と問いかけた。すると、男はがはがはと笑う。

「まさか。あそこにいる人たちは本当にいい人ばかりだよ。人食いなんてしたこと無い」

「だが、あのニオイは…」

「ああ、あれはおれたちがヒトのニオイのするようなものをあいつ等に渡しているんだ」

「なぜ、そんなことを」

「あいつらに人食いをするよう言ったのは、地主なんだよ。しかも、地主は定期的にあそこを訪れて本当に人食いをしているか確認しているんだ。だから、おれたちはヒトの腐臭のようなニオイがする霧吹きを渡してあるんだよ。食べ物は、おれたちが手に入れものを渡している」

「そ、そうだったのか」

 自分の間違いに気づき、フレデリックは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。けれど、すぐに顔を引き締める。

「で、いつ決行なんだ? その作戦」

「ああ、ちょうど月が真上に来る時間帯だ」

 外は、まだ日も高く青い空が広がっている。それを見上げてアルマンディンの瞳が、小さく細められる。

(アテナ様…どうか、ご無事で)

 そう心の中で祈ると気を引き締めた。
 作戦決行まであと15時間。

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