Twitterのホームが、さみしいことになっとるがな

2020年1月12日日曜日

雑記

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Twitterでのプロフィール画面。下にはずらりと、自分だけのつぶやきが並んでいるわけですが、宣伝ツイートしかないので味けがない……!

リンクつなげるとしても、ホームページのニュース記事だけなわけですよ。やっぱり味けがない。

い、一週間はがまんします。ブログ記事ツイート、我慢します。

もしかしたらブログ記事は、ツイートしない方がいいのかもしれません。でも自衛できるように、一度リンクを践まないと読めないようにしているわけです。

ちゃんと避けられるように、しているつもりなんだけどなあ。


小説に対してのコメントなら、なんでもないんですけどね。

「ここ表現こうした方がいいよ」とか、「ここ言い回し変えた方がいいんじゃない」とか。まあ、中には無知っぷりをさらすコメントもございます。

そういうコメントに対しては「この人はきっと、やわらかい真綿が敷き詰められたゆりかごの中で大切に育てられたんだな」と、否定も肯定もしない返信を送っております。


あと間違った知識に関する指摘も、なんとも思わないですね。そこは素直に謝れる。内容によるけど。


ただ漫画やアニメ、ゲームと言った『主観』よりのものに関しては別です。

「私がこう感じた」のは確かな事実で、間違ってはいない。それを変えようとされても、困るだけ。

というか、一ブログが「こう書いていた」だけで、なんだというのだ。作品を非難したわけでも、悪し様に書いたわけでもない。

それが“その作品”のすべてでもないことを、わかった上で書いているのです。

読んでいないでしょうが、この言葉を贈りましょう。アニメ「将国のアルタイル」で出てきた言葉です。

「あなたは間違っていないが、正しくもない。わたしもまた間違っていないが、正しくもない」

孟子にもございます。

「本を読んで、それを真に受けるだけなら読まない方がいい」


どうせ記事を中途半端に読んで、「なんだこいつ、けしからん」と長文コメントを投げつけてきたのでしょう。

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