昨日、“思わず”動画にコメントを書いちゃったんだ。滅多にしないのにね。あとから思えば「指摘」になってしまうか、と、ちょっと後悔。
「指摘」は正しくとも、不快に感じる方が多いからね。不安を和らげるために、ツイートも連投してしまいましたよ。
あえて「指摘しない」のも、“正しさ”だからなあ。
『相手が助けを求めていないのに、助けるとおせっかいになる』から、まずかったかな?
出典元のリンクも一緒に貼ってね。ますます面倒な視聴者やな、という気がしてきた。コメントを見て“どう思うか”は「相手の課題」なので、もう自分には関与できないと言えば出来ない。
ただ書いたコメントを消すかどうかは、“自分の課題” 。で、ちょっと悩んだ。けっきょく置いてありますけれどね。
出典元の本はまとまっているし、いい本ではあるんですけれどね。ただ“本をすすめる”のが「目的」になってはいないか? と、考えると「そうとも取れるか」と。
まあ反応がなかったので、スルーなさったのでしょう(たぶん)
もともとコメントを書くのが好きじゃないんだよな。ブログやっていると、きほん「自分の主張」はブログで書くんですよね。
それだけでなく「コメントを残す」というのは、相手と「会話をする」ことでもあるからね。
ブログなり、動画なり……「書いている」あるいは「動画を上げている」相手との会話。そして会話が苦手なので、コメントを書くのも苦手だ! 苦手なんじゃ!
反応するかどうかは、相手の課題ですので「別」として。またどこかタイミング見計らって、コメントを削除するかもしれません。
ツイートは消します。ブログで吐きだしたら、すっきりしたからね!