あと数年は戦争は起こらないであろうと誰もが思うほどにシュトラール王国は、小さい国でありながらも、自衛に優れている国であった。国王も王としての位は高く他国から羨望のまなざしで見られる事が多い。そんな平和であった国にフェアブレッヒェン公国は進軍した。
フェアブレッヒェン公国は、元々は弱小国であったが大公が変わり、ここ数十年で一気に軍事力を高め次から次へと領土を広めていった。そして、つい先日にシュトラール王国の隣国もフェアブレッヒェン公国に惨敗し、フェアブレッヒェン公国の配下となったのだ。それからは、シュトラール王国は陽気な国であったのにもかかわらず戦争が始まるのではないかと懸念された。 そして今日、ついにフェアブレッヒェン公国は矛先をシュトラール王国へと向けたのだった。
戦場は、まるで枯れ果てた大地のようであった。
草木は枯れ、水もなくただまぶしいばかりの太陽が輝いている。その光を恨めしそうに正騎士長、カスパルは見上げる。すると、そんな彼に若い騎士が声をかけた。
「正騎士長、みな配置につきました」
若い騎士の声を聞いてカスパルは、若い騎士を見る。そして、威厳たっぷりの声でこういった。
「そうか、わかった。それでは、夕刻になったらフェアブレッヒェン公国に迎え撃つぞ」
「は! ところで正騎士長、正騎士であらせられるフレデリック様が見あたらないのですが」
若い騎士は周りを見回してカスパルに問いかけた。すると、カスパルはまるで何度も問われて面倒だとでも言うようにため息を吐き出す。それを受けて若い騎士はピッと背筋を伸ばす。
「陛下からの要望でな。フレデリックには国の守備を頼んだそうだ」
「そ、そうでしたか。戦場を駆け抜けるフレデリック様を見たかったのですが…」
若い騎士の言葉に反応してカスパルは、ガハガハ笑う。それを見て思わず若い騎士は顔を強ばらせた。
「そうかそうか。…フレデリックはまるで風のように馬で駆けてカマイタチのような剣さばきで人を斬る。誰がそう呼んだか――彼を、烈風の騎士と」
カスパルの言葉に若い騎士は少しばかり頬を緩める。
「フレデリック様のことをよくご存じなんですよね?」
「ああ、もちろんだとも。あいつがまだ赤ん坊の頃から知っているとも」
そういってカスパルは遠い目をする。それを見て若い騎士は息を飲む。それが伝わったのか、カスパルは若い騎士の方を見る。
「そろそろ、配置に戻りなさい。伝令、ご苦労であった」
「はい!」
若い騎士は返事と共に敬礼するとその場を去ってゆく。その背が見えなくなるまでじっと眺めながらカスパルは、心の中で「国王は何をお考えか」と考えていた。
(フレデリックがいれば、戦場でも楽しかろうに)
そんなことを思いながらカスパルは、空を見上げた。その空は、少しずつ赤く染まってゆく。戦争が、始まる。
*
戦争が始まったことがシュトラール王国、全土に広まった。首都であるベッセルングは、一番に情報が入る。そこから、一気に拡散したのだ。
アテナは、いつも通りのピナフォア・ドレスを着て掃除や洗濯に勤しんでいた。この城には、何千人もの侍女がいるが王はアテナを気に入っているのかアテナに周りの世話をよく頼む。毎朝、郵便物を届けるのは日課であるし、食事を用意させるのもアテナだ。それが気にくわないのか王妃であるカランドラは何かとアテナに嫌がらせをする。
せっかくきれいに磨いたフォークやスプーンをわざと汚したり、きれいに拭いた床にゴミをばらまいたりする。その度にまたアテナも掃除をし直すのだが。
「…ふう」
アテナは、王の命令により地下室の掃除を頼まれていた。そして、雑巾がけをしていたのだが一息ついて、体を軽くほぐす。すると、また雑巾がけを始めた。刹那、がしゃりと何かが倒れる音がした。その方向へ目を向ける。すると、水の入ったバケツがひっくり返されていた。そこから、視線をあげるとやはりというべきか王妃、カランドラがいた。
「あら、ごめんなさい。けど、こんなところに置いているあなたが悪いのよ」
アテナは内心、むっとしつつも「はい」と答えて雑巾でバケツの中の水を吸う。しかし、雑巾はすでに水を吸ってぐしょぐしょであるから、あまり水を吸わない。それを見てアテナは、思わずため息を吐き出した。それを見てカランドラは、「はやくなさいよ!」とアテナを怒鳴りつける。そこへ、大きな影がにゅと射した。
「それぐらいにしていただけませんか、王妃様」
そちらへアテナが視線を送るとそこには、フレデリックがいた。アルマンディンの瞳がすうと細められる。その視線の先には、カランドラがいる。カランドラは、フレデリックから向けられる氷のような冷たい視線に不機嫌になる。そして、「ふん」と鼻を鳴らすとその場を立ち去った。カランドラが遠く離れたのを確認するとアテナは、立ち上がってフレデリックに頭を下げる。
「ありがとうございました」
それを見てフレデリックは、苦笑いを受かべる。その目は、優しいが呆れも入っている。
「顔をお上げください、アテナ。俺は一人の人間としてあなたを守っただけです。だから、あなたがそんなふうに頭を下げなくてもいいのですよ。あなたは俺にとって――いえ、止めておきます」
アテナは、顔を上げて首を傾げる。フレデリックは、しゃがみこんでバケツを手に取った。
「新しい雑巾を持ってこないと。それから、バケツの水も新しくしないといけませんね」
フレデリックの言葉にアテナは「はい!」と元気よく答える。そして、二人で地下水道まで水を汲みに行く。フレデリックが新しい水を汲み、アテナは外に干されているカラッと乾いた雑巾を手に取る。そして、二人はまた地下室へ戻ってくると乾いた雑巾で床を拭き終えると今度は、きれいな水で濡らした雑巾で床を拭いた。
「これで大丈夫ですね」
一息つくとフレデリックは、そう零す。そんなフレデリックにアテナはまた「ありがとうございました」と言った。すると、フレデリックは困ったように笑う。
「何度も言うようですが、俺が勝手にやっていることです。お礼なんて、いいのですよ」
「いいえ、いけません! フレデリック様は、正騎士様でいらっしゃいますし! それに、それに…」
フレデリックは小さく微笑む。
「アテナ、様はいらないといったでしょう?」
アテナは、「あ!」と声を上げて慌てて口を塞ぐ。その仕草に思わずフレデリックは、笑ってしまう。それを見てアテナは、少しばかり恥ずかしそうに頬を赤らめる。フレデリックはアテナの頭を優しくなでた。その目は、やはり優しい。
「アテナ」
「フレデリック…」
アテナは、頬を真っ赤に染めてとても小さな声で名を呼んだ。すると、少しばかり不満そうにフレデリックは、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「アテナ、他に何かお手伝いすることはございませんか?」
「えっと…夕飯の買い出しぐらいでしょうか」
アテナが必死に絞り出してそう言うとフレデリックは、バケツを持って立ち上がる。たちまちバケツの中の水が波紋を立てる。
「では、これは置いてきますね」
「あ、私が…!」
そう声を上げてアテナは、バケツを手に取ろうとする。しかし、床が思いの外滑りやすくなっておりアテナは、前のめりになって床へ顔をぶつけかけた刹那。フレデリックがアテナの体を支える。
「まったく、あなたという人は…。放っておけない」
耳元で聞こえた心地の良い低い声に思わずアテナは、頬を染める。そして、ぱっと立ち上がった。
「す、すみません!」
アテナがとっさに謝るとフレデリックは、やはり優しく微笑んだ。それを見てアテナは、恥ずかしそうに少しばかりうつむく。そんなアテナの髪にフレデリックは、触れる。その仕草すらもスマートで美しい。そのことにアテナは、やはりときめいてしまう。すると、満足そうにフレデリックは微笑んだ。
「そろそろ、行きましょう」
「…はい」
アテナは、そう答えるのが精一杯だった。それすらも満足なのかフレデリックの口元がゆるむ。それから、バケツを片付けて雑巾を干すとバスケットを持って街へ降りた。いつもは賑やかであった市場であったが、今日はみな沈んだ顔をしている。やはり、戦争が始まったからであろう。
「…みなさん、やっぱり気にしていらっしゃるんですね」
「そうですね。フェアブレッヒェン公国は、ここ数十年でとてつもなく軍事に力を入れていたそうですから。もしかしたら、負けるかもしれないと思っているのでしょう」
それを聞いてアテナは、たちまちうつむいてしまう。それから、はっと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、フレデリックはどうして戦地へおもむかなかったのですか?」
アテナの問いかけにフレデリックは、困ったように汗をうかべる。そして、がしがしと乱暴に頭をかいた。
「陛下のご命令で俺は、この国の護衛をしろと頼まれましたので」
「あら、そうだったの? けれど、本当は戦地へ行きたかったのではないですか?」
アテナの問いかけにまたフレデリックは、困った顔をする。そして、口を開いた。
「この国を守ることを王は、一番にお考えですから。俺は良い任をいただいたと思っておりますよ」
「でも、行きたかったんでしょ?」
「え、う…まあ、はい。騎士たる者、戦いにおもむいて戦うものだと思っておりましたので」
フレデリックの言葉にアテナも頷く。
「でも、この国を守るのが正騎士のつとめですものね」
アテナが微笑んでそう言うとフレデリックは、頬をほのかに染める。そして、右手の人差し指で頬をかく。すると、アテナは「あ」と声を上げて市場に売られている品物を眺める。どうやら、新鮮な食材を品定めしているらしかった。フレデリックは、黙ってその様子を見る。しばらくしてバスケットいっぱいに新鮮な食材があふれかえる。
「たくさん、買えました~」
アテナは、満足そうにそう言う。しかし、ふとある所に視線を移す。すると、そこにはシンプルながらも女性らしいガーリーなワンピースが店頭に飾ってあった。全体的に白く襟元に可愛らしいけれど、控えめなリボンがついている。袖元には、白いレースが縫いつけられ、なんとも女性らしく見える。ふわっとしたスカートには、余計なものが付いておらずシンプル。けれど、全体的に可愛らしかった。
アテナは、思わずそれをぼんやりと眺め、少し落ち込んでしまう。フレデリックは、それを見つめてそっとアテナの肩に触れる。
「戻りましょう」
「はい」
そう促され、アテナは城へ戻った。そして、食材をコックに任せると自分の部屋へ行きぼすんとベッドの上へ転がる。そして、息を吐き出す。すると、扉をノックする音が聞こえてきた。アテナは、慌てて立ち上がり扉を開ける。すると、そこには国王であるアドリアンがいた。
「陛下!? このような場所へ、どうなさったのですか?」
アテナは驚いて素っ頓狂な声を上げてしまう。しかし、アドリアンは気にした素振りもなくただ言うべきことだけを述べる。
「アテナ、悪いが夜にわたしの部屋に来てくれないか?」
「ええ、もちろん。参ります」
「ではな」
それだけ言うとアドリアンは、去っていった。取り残されたアテナは、ただ首を傾げてベッドの脇に座った。
月が昇り、黒い木々がざわりざわりとざわめく時刻。アテナは、アドリアンに言われたとおり部屋へ向かった。すると、そこにはフレデリックもいた。たちまち、アテナは驚いてしまう。戸惑うアテナをアドリアンは、部屋の中へ入れる。すると、アドリアンは口を開いた。
「そろったな、よし。実は民衆への報告はまだだが、戦争は我が誇る騎士達が勝利をおさめてくれた」
「わ~、よかったです」
アテナは思わず、そう返す。すると、アドリアンは小さく笑う。
「それでなんだが、実はフェアブレッヒェン公国がこちらに差し出してきた領土が、アトランティスという大陸だ」
それを聞いてアテナとフレデリックは、絶句する。
アトランティスとは数年ほど前に突如、現れた大陸である。昔の文献などに記されているアトランティスと呼ばれていた大陸が、あったとされる場所に浮上してきたので、この名が付いた。しかし、アトランティスはとてもでは無いが人が住める環境ではないらしい。自然や水は確かにあるのだが、この大陸には奇妙な生き物が住み着いており、そのもの達はとにかく人を襲うらしい。そこから、誰が言い出したのか大陸に住んでいるその生き物をモンスターと呼んでいるようだ。
フェアブレッヒェン公国は、この大陸を戦で手に入れたが開拓が全く行うことが出来ず手をやいていたらしい。そこで戦争に負けたからとアトランティスをシュトラール王国へ渡してきたようだ。
「そんなの、無茶苦茶すぎます! 抗議なさらないのですか、陛下!」
思わず声を荒げてフレデリックは言う。すると、アドリアンは小さく首を横に振る。
「何たって、向こうはかなり勢力を伸ばしているフェアブレッヒェン公国だ。きっと、とりついではくれないよ。そこでだ、君たちを信頼に足る人間として頼みたいことがあるんだ」
アドリアンの言葉にフレデリックは、息を飲む。アドリアンは、小さく息を吸い込んだ。そして、耳を疑うような言葉を紡いだ。
「アテナ、フレデリック…ふたりにこのアトランティスの地図を作ってもらいたい」
数分否、数秒の沈黙が降りた。それをフレデリックが破る。
「陛下、いくら何でも! 俺はともかくとしてもアテナは…!」
そう言ってフレデリックは、言葉を濁らせる。
「大丈夫だ。アテナは、剣や弓など使いこなせると聞いている。なんでも、正騎士長カスパルから武器の使い方を習ったと聞いている」
アドリアンの視線を受けてアテナは、「はい」と静かに答える。
「確かに幼少時よりカスパル様から様々な武器の使い方を習いました。けれど、実践は行ったことがございません」
「そうです! いくらアテナが武器を上手に扱えても実践では…!」
「フレデリック。お前の気持ちも分からなくもない。だが、わたしは賭けていると同時に信頼してるんだよ、君たちを」
アドリアンの射抜くような瞳に見つめられフレデリックは、黙るほか無かった。そして、わずかに唇をかむ。その様子をアテナは、ちらりと見た。
次の日。
アテナは、フレデリックと共に街へ降りていた。「今日から発て」との王からの命令のため、ふたりは旅支度をするために必要なものを買いそろえていた。旅するための服は、王が自ら用意すると言われたので日持ちのする食料とランプや防寒着を買いに来ていたのだ。
「食料はこれでだいたい揃いましたね」
そう言ってフレデリックは、カバンの中を見る。そこには、たくさんの透明の瓶。それぞれ日持ちをするように工夫を凝らされた食べ物が入っている。それからチーズやパンなども入っている。
「あとは、水分補給のために水でしょうか」
「そうですね。しかし、水のまま持ち歩いても良いものなのでしょうか」
「水は意外と日持ちするんですよ! あと、ランプは買ったから防寒着でしょうか」
アテナの言葉にフレデリックは、小さく頷く。それを確認してアテナは、厚着が売られている店へ入る。すると、小さな黄色い布のかたまりがフレデリックへ向けて突進してくる。それをよけきれずフレデリックは、そのまま後ろに尻餅をついてしまう。
「フレデリック!?」
思わず驚いてアテナがそう声を上げてフレデリックと黄色い布のかたまりに近寄る。すると、黄色い布から小さな女の子が顔出す。その顔を見てフレデリックは、驚いた顔をする。
「デルタ! なんで、ここに」
「お知り合いなんですか?」
アテナがそう問うとアテナの後ろから女性が声をかけてきた。その女性を見てフレデリックは、疲れた顔をする。
「やはり、あなたもここにいましたか…母上」
アテナは驚いて後ろを振り返る。すると、そこには短い赤みがかった髪を持つ女性がいた。その女性と女の子をアテナは、交互に見る。似ていなくもない。
「えっと、あなたがフレデリックのお母さん…ですか?」
アテナの問いかけに女性は「ええ」とおしとやかに答える。
「私は、フレデリックの母親のギルベルタよ。こっちの子は、私の娘でフレデリックの妹の…」
女性ことギルベルタの言葉をきって女の子は、声を張り上げて名を名乗る。
「デルタだよ! よろしくね、おねーちゃん」
「よろしくね、デルタちゃん」
アテナがそう言うと女の子ことデルタは、無邪気な笑みを浮かべてニカッと笑った。女性のお淑やかな雰囲気を幼い子に求めるのはおかしいが、女性らしさのない笑い方だ。けれど、容姿は母親譲りなのかお淑やかに見えるからふしぎだ。フレデリックは、少しばかり額に汗をうかべながら立ち上がる。そんなフレデリックの足にデルタは、思いっきりぶち当たる。抱きついているつもりなのだろうが、体当たりしているようにしか見えない。それを見てアテナは思わず、苦笑いを浮かべる。すると、ギルベルタはガハガハとお淑やかな容姿であるのにも関わらず豪快に笑う。デルタのさっきの笑い方も、ギルベルタ譲りなのかもしれない。
(あれ、でも…フレデリックには何か似ているところがないなあ…)
そんなことをふとアテナは思う。けれど、その考えをすぐさま打ち消す。もしかしたら父親似なのかもしれないと、思いとどめたのだった。その時、外が何やら騒がしくなった。驚いてアテナは、外へ出る。すると、そこには手枷を付けられた男たちが騎士にどこかへ連れて行かれていた。その様子をぼんやりと眺めていると、うしろからフレデリックがアテナに声をかけてきた。
「フェアブレッヒェン公国の兵士ですね。おそらく、戦地へおもむき負けた兵士達でしょう。大公が彼らをこちら側へ売ったんです」
アテナは驚いて目を見開く。
「ど、どうしてそんなことを!」
「大公にとって、彼らはただの消耗品。負ければ無能とされ、いらない存在となるのでしょう」
アテナは思わず手をぎゅと握りしめる。
「ひどいわ、彼らをただの消耗品だなんて」
怒りと悲しみがアテナの中であふれ出る。その少しばかり震えた声を聞いてフレデリックは自嘲気味に呟く。
「俺も、ただの消耗品に過ぎません。俺がやられても変わりがいる」
フレデリックの言葉にアテナは、目に涙を浮かべてフレデリックを見た。その顔を見てフレデリックは、思わず息を飲む。アテナの瞳が、射抜くようにフレデリックを見る。その目はどこか悲しげでけれど、強いまなざしを秘めていた。
「あなたに変わりなんか、いないわ! あなたは、あなただもの。変わりなんて、いない」
アテナの言葉にフレデリックは、優しい笑みを浮かべる。そして、優しく抱きしめた。
「あなたがあなたで良かった」
アテナの耳元でフレデリックは、零す。その声を聞いてアテナは、たちまち目を見開く。その表情には、驚きの他に疑問も浮かんでいた。
「え…?」
(どういうこと? 私がこんな私で良かったと言うことなの? それとも、もっと別の理由?)
首を傾げるアテナにフレデリックは、笑みを浮かべるだけで「買い物まだでしたよね」といって買い物の続きを促す。アテナは、問いかけることが出来ずただ買い物の続きを開始した。
夕刻になり、アテナとフレデリックは買い物を終えて王の部屋にいた。そこには、アテナとフレデリック、それぞれに旅するための服が用意されていた。
アテナの服は、女性らしさを見失わないガーリーな服であった。白い色のワンピースに腰には、剣の鞘が付いている黒いレースの付いたリボン。スカートの丈は短く動きやすく工夫されている。スカートの下は、短い淡い色の短パン。それらの服のところどころにきめ細かい刺繍が施されており、女性らしさをアピールしている。靴はニーハイブーツのようなもので、シンプルなデザインであるが、かかとには少しばかり高くなっている。しかし、木の上やでこぼこ道でも転ばないようにあまり高くはないし、かかとの部分が平坦である。
フレデリックはというと甲冑のような重いものではなく意外にも布製で軽快に動きやすいものであった。全体的に黒を基調としており一見、甲冑のように見えるデザインではあるがよく見れば布であることが分かる。アテナに比べたら、シンプルであるが男性らしくもあるデザインだ。こちらにもきめ細かな刺繍がアテナとは色違いに入っている。靴は、ワークブーツで赤みがかった茶色。とても、歩きやすそうではある。
「これ、いただいてよろしいのですか?」
アテナは思わずアドリアンに問う。すると、にっこりと微笑んで頷いた。
「それを隣の部屋で着てきなさい」
アテナは、元気よく頷くとパタパタとかけて部屋を出て行く。それを見届けてからアドリアンはフレデリックに口を開いた。
「フレデリック、お前も着てみてくれ」
「はい」
そう答えるとフレデリックは、すぐに着替える。そして、アドリアンにサイズが合っていることを微笑んで伝えて見せた。
「はい、ぴったりでございます」
「よかった。フレデリック、わたしがお前達に今回、どうしてこんなことを頼んだかわかるかい?」
突然、そう問われてフレデリックは驚いてしまう。そして、少し考えた後に口を開く。
「ええと、アトランティスを開拓するため、でしょうか…?」
フレデリックの答えにアドリアンは、小さく笑う。そして、窓から沈みゆく夕日を眺める。その目はまぶしげに僅かに細められた。
「確かにそれもある。しかし、本当の意味は別にあるんだよ」
「本当の意味ですか…?」
フレデリックは、汗をうかべて問いかける。すると、アドリアンはフレデリックの方を向き直る。そして、薄く笑う。その目が少しばかり恐くてフレデリックは少しばかりたじろいでしまう。けれど、アドリアンを見つめたまま離さない。
「もしこの国に何かあったとき、ふたりが生きていれば、希望が残る」
アドリアンは、静かにそう言った。その声は、どことなく悲しげである。
「希望、とは…」
そうフレデリックが問いかけようとした、その時。アテナが部屋へ入ってきた。
「陛下、サイズもぴったりです」
アテナは笑顔でアドリアンに言う。すると、アドリアンも笑顔を返す。その顔には、先ほどのような悲しみは微塵も滲んではいなかった。フレデリックは、それを眺めつつ心の中で引っかかりを覚えていた。
「アテナ、お前にショートソードと弓を与えよう。これはわたしからのプレゼントだ」
「あ、ありがとうございます!」
アテナは元気よく答えてシュートソードと矢入れごと長弓と矢を受け取る。そして、ショートソードを腰に差し矢入れを背に背負う。すると、アドリアンはフレデリックを呼んだ。
「フレデリック、お前もそろそろ剣を変えた方がよいだろう。これを」
フレデリックは、前に出て剣を受け取る。それは、とても大きくアテナでは扱えない得物であることが一目で分かる。フレデリックは、思わず絶句する。
「こ、これはツヴァイヘンダーではございませんか。このような立派なものをいただいてよろしいのですか?」
「なあに、これは王家に代々、伝わる代物だ。遠慮しなくて良いぞ」
それを聞いてますますフレデリックは、冷や汗をかく。
「そ、そんな立派なものいただけません!」
「いや、お前にもらってほしい。お前が受け取らなかったら、目の前でこの剣をへし折る」
それを聞いてフレデリックは渋々と頷く。
「わかりました、ちょうだいいたします」
それを聞くとアドリアンは、ほっとした表情を浮かべてみせる。そして、小さく咳払いすると口を開く。
「では、満月がちょうど真上に来たら、お前達にはアトランティスへ向かってもらう。フレデリック、月に一度は伝書鳩を飛ばしてくれ」
「かしこまりました」
アドリアンは、窓の外を眺める。外の空は少しずつ黒い色へと変わっていく。
アテナとフレデリックは、馬小屋へおもむき旅に必要な荷物をフレデリックの愛馬、リヒトに乗せる。武器はやはり、自分たちで持っている。
フレデリックがなでてやると馬が気持ちよさそうに目を細めた。
「とても、なついていらっしゃるんですね」
「ええ、まあ。戦場を共にした仲間ですからね」
フレデリックがそう言った刹那。馬小屋へアロイスが入ってきた。
「やあ、フレデリックにアテナ。今日、発つんだって?」
「ああ、悪いがしばらく国を開けることになる。その間、国を頼んだぞ」
フレデリックがそう言うとアロイスは、小さく笑って肩をすくめてみせる。その目は、どこか楽しそうだ。
「まあ、ほどほどにがんばるよ」
「まったく、お前は。だが、お前らしい」
そういったフレデリックの表情は、アテナが今まで見たことがないくらい気が抜けていて物珍しさにアテナは、思わずフレデリックの顔をまじまじと見てしまう。すると、視線に気づいたフレデリックが戸惑う。
「ど、どうかなさいましたか…?」
「ねえ、フレデリック。これから、一緒に旅するのだし敬語もやめましょう?」
アテナがそう言うとフレデリックは、たちまち困った顔になってしまう。
「しかし………わかりました」
「うん! あまりかしこまらなくて良いからね」
そう満面の笑みで言われフレデリックは、また戸惑った表情を浮かべる。それから、あきらめたように苦笑いを浮かべると「ああ、わかった」と答えた。それを見ていてアロイスは小さく笑う。
「見せつけてくれるね?」
アロイスの言葉に二人して目をパチパチとさせる。そして、言葉の真意が分かると「そんなんじゃない!」と二人揃って反論した。その言葉もピッタリと合っている。すると、やれやれと言わんばかりにアロイスは、肩をすくめてみせる。
「じゃあ、もう邪魔者は退散するよ」
そういうとアロイスは去ってゆく。それを見届けつつ、二人の間に微妙な空気が流れた。それをアテナが破る。
「えっと、フレデリック。出発までまだ時間があるね」
「ええ、そうですね」
フレデリックの返事に思わずアテナは、ムッとした表情になる。その視線を受けてフレデリックは、背中に冷や汗をかきつつ言い直す。
「そ、そうだな…」
それを聞くとアテナは、満足げに笑みを漏らす。フレデリックは、内心冷や汗をかきながら、心の中で息を吐き出した。
時刻は、すでに夕刻を過ぎて夜になっている。その空をフレデリックは見上げる。月がちょうど、真上に上がる。すると、白い羽をはためかせた鳩が空から舞い降りてくる。そして、地面に降り立つ。その鳩の足にくくりつけられている紙をフレデリックは、広げた。
『アテナのことを頼んだぞ アドリアン』
紙にはそう書かれていた。その紙をポケットにしまい込み、新しい紙に何やら言葉を書き付ける。そして、鳩へくくりつけて空へ飛ばした。鳩は、またしても白い羽をはためかせて飛び立つ。それを見届けると馬を馬小屋から出した。
「アテナ、馬に乗ってください」
フレデリックに従ってアテナは、馬にまたがる。すると、その後ろにフレデリックもまたがった。
「それでは、行くぞ」
まだ慣れていない言葉遣いでそう言うとフレデリックは、馬を走らせる。その様子を雲の間から現れた下弦の月だけがのぞいていた。
アドリアンは、大きな窓を開けて白い鳩を向かえる。すると、鳩の足には紙がくくりつけられている。その紙を開く。すると、そこにはフレデリックの文字でこう書かれていた。
『必ずやお守りいたします。アテナがあなたにとって、最後の希望であるのならば
フレデリック』
それを読んでアドリアンは、空を見上げる。すると、そこにはやはり下弦の月が浮かんでいた。
こうして、少女と騎士の冒険は始まったのだった。しかし、これはまだ物語の始まりに過ぎず本当の物語はここから始まるのである。