文章の技術

2019年12月19日木曜日

雑記 小説

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「文章に技術はいらない」

厳密には違う言い回しでしたが、深夜に流れてきたツイート。そんなこと言う人がいるのに、おどろいたので記事を起こします。


絵も誰だって描ける。なのに絵ばかりが、「技術がいる」などとしばしば言われる。

絵は視覚的にわかりやすい。逆に文章はわかりにくい。

人体にたとえるならば、絵は表にあらわれたもの。文章は内面の部分にあたるのでないかと。

また『いい文章』というものは、人体にたとえると「健康状態」ではないでしょうか。いつもそこにあって、「当たり前」になってしまっている。


当然といえば、当然ですね。だいたいの人が触れている文章は、『プロが書いた』ものなんですから。


ですが逆に病気になると、「健康状態」のありがたみを実感できる。


文章も同じです。本でも雑誌でもいいですが、プロの書いたものと素人の文章を比べてみてください。

素人の文章と言っても、web作家でもなくブログも書いていない人の文章を選んで読んでみてください。

文章を書いている方は多少なりとも『技術』を持っているので、違いがわからない可能性があるからです。


Twitterとか、動画のコメント欄とか、レビュー欄とか……どこでもいいです。出来れば長文で、本も読んでいない方の文章が、よりわかりやすいでしょう。


どうです? なんとなくでも、違和感を抱きませんか?


よくない文章は「贅肉」が多くて、『意味がよくわからない』ことが多いのです。ぱっと読んだだけで、意味が通じない文章が「よくない文章」です。


では逆に「いい文章」は「贅肉」がなくて、読んだ側から意味がわかります。わかりにくいかもしれませんが、たしかに『技術』です。


『声』だって、技術です。声優さんと一般の方では、あきらかに声が違います。でも『声』も誰もが持っているものです。


それと一緒です。文章にだって、『技術』がいるのです。


でなければ『いい文章』にふれたとき、「ちくしょう、くやしい。この人、天才だ。自分もがんばろう」なんて思うはずないのですから。

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