〈幻草文庫。セレクション〉「風方剣文録」―序章―

2020年2月3日月曜日

過去作 長編

t f B! P L

 まばゆいばかりの朝の日差しが氷のようだった街を溶かしてゆく。その日差しを感じて一人の少女は目を覚ます。少女はいつもどおり眠たげな瞳で古ぼけた木の枠に手をかけて窓を開ける。すると、太陽はまだ昇りきっておらず空はまだ完全な青ではなかった。少女が違うところに目を移すと暁月が昇っていた。それを見て少女は、ぐっと伸びをする。

「さあて、今日もがんばりますか!」

 少女はいつものようにそう気合いを入れるとすす汚れたピナフォア・ドレスを手に取る。元々は高級な布であつらえたものだが、布の端々がほつれていたり、どこで着いたのか分からない黒い汚れが付着していた。そのため、美しかった頃の面影は微塵もない。しかし、少女はそれをいとわずピナフォア・ドレスに袖を通す。後ろでレースの着いたリボンを蝶結びにすると長い茶髪の髪を解きほぐす。それから、三つ編みに編んでゆく。それができあがると髪をヒモでくくり、頭に三角巾を巻いた。その後、少女は部屋を後にする。すると、真っ直ぐに洗面所へ向かい顔を洗うと真新しい真っ白なタオルで顔を拭く。そして、まず手始めに郵便物を確認するため、この大きな建物の外へと出る。すると、大きなカバンを肩にかけた男が立っていた。

「おやおや、今日も精が出るねえ~」

 男は少女にそう声をかける。少女もにっこりと笑みを浮かべて男に応じる。

「おはようございます、毎日ありがとうございます」

 少女が答えると男は、カバンからがさりとヒモでくくられた何枚も重ねられた封筒を取り出す。そのどれもが、こじゃれた封で止めてある。それを少女が受け取ると男は去っていった。それを見送った後に少女は封筒のヒモを解いて宛名を確認してから、少女は建物の中へ再度はいる。そして、何分か歩いてひときわ大きな扉のある前で足を止める。その扉を少女はノックする。すると、まだ年若い男の声が中から聞こえてきた。

「どうぞ」

 それが聞こえてきてから少女は「失礼します」といって中へはいる。そこには、天蓋付きのベッドにぴかぴかに磨かれた床。宝石のようなきらめきを放つシャンデリアがあった。その少し奧に白いカーテンがゆらゆらと揺れている。その奧、広いバルコニーの中心にある白い椅子に声の主は座っている。この広大な建物の主であり、少女の主人であった。まだ年若いこの男は、26という若さでこの地の否、この国の主となった。しかし、文武に秀でており誰もこの主に対して悪口を言わない。少女もまたこの主に対して悪く思ったことはなかった。

「お手紙を届けに参りました」

 少女がそう言って手紙を差し出すと、その手紙を男は手に取る。そして、手紙にざっと目を通した。その目が僅かに眉根を寄せる。

「フレデリックを呼んできてくれ」

 少女は、「はい、かしこまりました」と答えると部屋を後にして建物の裏手へ出る。そこには、この国を守る存在である騎士達のためにあつらえられた建物が並んでいる。弓を練習するための弓道場。剣を練習するための道場。他には、騎士達が寝泊まりする建物。そこは、だいたいがふたりで一つの部屋を共有するのだが、実力のあるものは個室を与えられる。そこから、少し行ったところには、大きな噴水のある中庭がある。ここでは傷を作った騎士達が羽を休める場として利用している。だいたいは、ここで働いている侍女を見るためだが。
 その全てを少女は見て回る、しかし、肝心の人物の姿はどこにもない。思わず少女がうつむいた、その時。

「おや、こんなところでどうしたんだい?」

 男の声が降ってきた。驚いて少女は顔を上げる。すると、そこには薄い茶髪にスモーキークォーツのような瞳、身長180センチくらいと高い身長の男が立っていた。顔は、端麗な顔立ちをしている。その男は、少女に優しげな笑みを浮かべる。

「アロイス様。実は、王様がフレデリック様をお呼びなのですがお見かけしませんでしたか?」

 アロイスと呼ばれた男は、少しばかり悩んだ素振りをする。そして、肩をすくめて見せた。

「うーん、今日は見てないなあ」

 アロイスの答えに少女はたちまち、肩を落とす。すると、アロイスはいたずらっ子のような笑みを浮かべてポケットの中をまさぐる。そして、小さなメモ用紙を取りだした。そこには、なにやら品物らしきものと値段が書かれている。

「フレデリックを探すついでに頼まれてくれないかな?」

 そう言ってアロイスは、少女にメモ用紙を渡す。それを少女は受け取って内容を食い入るように見る。

「これを買いに行けばいいのですね」

「うん、よろしく頼んだよ」

 アロイスに軽く頭を下げると少女は、髪を翻して建物の中へはいる。そして、財布とバスケットを手に取るとまた外へ出て街へ降りた。街は、思いの外にぎわっており市場が大賑わいを見せていた。

(やっぱり、今日は市場の日だったのね。アロイス様のお買い物と食材の買い物を済ませちゃうのと、フレデリック様を探すのと…けれど、フレデリック様が街へ降りることがあるのかしら。私は見たことがないのだけれど)

 少女はそんなことを思いながら、メモに書かれているものを買うために「shop」と書かれている店へはいる。その看板は古ぼけていて今にも外れそうなほどである。文字も古めかしい飾り文字で描かれており、建物自体も新しくないものだから、今にも倒壊しそうなほど建物自体が傾いている。けれど、これで数十年はやっているのだから建物自体はしっかりしているのかもしれない。
 内装は、やはり古い骨董品なども置いており時代を感じるものばかりである。そんな中、異色な人がいた。その人は、唇に赤い口紅を塗りつけきれいにあしらわれた輸入品である着物を着崩して肌を見せていた。そこから、のぞく立派な筋肉質な胸は彼が日頃から鍛えているからかどうかは、定かではない。

「あらぁ、いらっしゃぁ~い。かわいい子猫ちゃん、今日はどうしたのぉ?」

 店員である彼は、そう言って少女を迎える。少女はメモを取り出す。

「これを頼まれたのですけど」

 メモを彼に見せると彼は、妖しげな笑みを浮かべる。その目は、どこか艶めかしい。

「あら、それなら30分ほど前にフレデリック様がお買いに来たわよ」
 
 それを聞いて少女は、目を見開く。

「そうだったのですか!? 大変、行き違いになってしまったのですね。すぐに戻ります!」

 そう言って少女は店を後にするとせわしなく辺りを見回す。しかし、目的の人物は現れない。仕方なく、市場へ向かおうと足をその方向へ向けた刹那。短剣を振り回しながら男が少女の方へ向かって走ってきていた。少女は、それに気づかずトボトボと歩いている。男が迫ってきてやっと男の存在に気づいた少女は、驚きつつも男から短剣をたたき落とそうとする。しかし、気づくのが遅れたためたたき落とすことが出来ず、少女は思わず目を固く閉じた。けれど、いつまで経っても痛みはやってこない。恐る恐ると少女が目を開けると、そこには凛とした姿勢で黒い漆黒の髪をなびかせた男が立っていた。身長は、180センチぐらいと高い身長。日頃から鍛えられているであろう筋肉。そして、端正な顔立ちにアルマンディンのような濃く黒っぽい赤みがかった瞳――正騎士、フレデリックであった。

「ご無事ですか、アテナ様」

 低くも優しい声が少女ことアテナの耳に届く。アテナは、ぼんやりとした瞳でフレデリックを見上げる。すると、フレデリックの凛とした瞳と視線が絡み合う。

「フレデリック様…」

 アテナはぼんやりとした瞳でそう呟いて、ふとフレデリックの足下に目をやる。すると、そこには短剣を振り回していた男が伸びていた。

「全く、あなたという人は。不用心すぎます。もう少しは危機感を持ってください」

 そういわれ、アテナは「すいません」と答えてへらっと笑う。それを見てフレデリックは息を吐き出す。その表情は、穏やかだった。

「側にいなかった俺も悪かったです。うかつでした。あなたがこの時間帯に街へ出る可能性を考えていませんでした。ところで、なぜ街へ?」

「あ、そうです! フレデリック様、王様がお呼びになっております」

「わざわざ、すみません。ところでアテナ様、その…俺を様付けで呼ぶのは止めてください。フレデリックでかまいませんから」

「じゃあ、私も。様付けじゃなくてアテナって呼んでください。じゃないと、私いつまでたってもフレデリック様とお呼びしますよ」

 アテナの言葉にフレデリックは参ったとでも言うように息を吐き出す。

「わかりました、アテナ。では、一緒に城まで帰りましょう」

「はい! …あ。まだ私、食材を買っていません!」
 
 アテナの言葉にフレデリックは、小さく苦笑いを浮かべる。

「それでは、ご一緒いたします」

「だ、だめです! 王様のお話が先です!」

 アテナは、喰い気味にフレデリックに言う。すると、フレデリックは少しばかり困ったような表情を浮かべる。そこにどんな真意があるかは、アテナは知らない。





 結局、アテナの買い物も一緒にしてから城へ戻ってきた。
 フレデリックは、城へ着くとまっすぐに王様の部屋へと向かう。すると、そこには案の定この国の王にしてフレデリックの主、アドリアンがいた。フレデリックは、美しく絵になるような仕草でアドリアンに跪く。それを見てアドリアンは「早速だが」と切り出す。フレデリックは、アドリアンの次の言葉にたちまち目を見開いた。

「フェアブレッヒェン公国が我が国へ進軍してきている」



 シュトラール王国の王都、ベッセルング。
 晴れ渡っていたはずの青空に暗雲がたちこめた。

Search

QooQ