自分が好きなものに対して否定的な意見を見ると、心は「拒絶」をはじめます。
場合によっては相手を「敵」と認識し、暴力(物理的なものだけではなく、言葉も含まれます)をふるうかもしれません。
“答え”は自分の中だけにあればよいものなのに、他者にまで強要しようとする。なぜなのか。
心が何かを「拒絶」するのは、『自分を守ろうとするから』出る反応なんです。ならば自分とはまったく関係ない、好きなコンテンツが否定されると「拒絶」反応を起こすのは何故なのか。
好きなコンテンツを、神聖化しているのではないでしょうか。
普通ならば「こんな意見もあるのか」と流せるはずのものを、「なんだこいつ、けしからん」と暴力でうったえてくる。宗教と同じですね。
好きなコンテンツを神聖化し、同一視している。だから好きなものを悪く言われると、自分まで悪く言われた気になるのでしょう。
最近“あるコメント”で心が拒絶したので「ちょっと待てよ」と、“心の動き”に注目して考えてみました。
コメント見てしまった自分が悪いんですけどね。ふだんは読まないようにしているのに、そのときはコメント欄を見てしまいました。やっちまったぜ。